第四回 服部躬治 『迦具土』
服部躬治 歌集『迦具土』(かぐづち)より十首
〈選歌十首〉
君見ませ折る人無みに歳を経し野茨の花のここちよげなる
貴人(アデビト)は誰よりうけし勢力(イキホイ)ぞわれに詩(ウタ)あり神の授けし
手すさびにをりたる紙の鶴すらも飛ばむとすなり春の初風
梅も見ず柳も折らずこの春を乱れごこちにわれや過さむ
絵扇にかくすとすれどなかなかにこぼるるものか君が微笑(ホホエミ)
文机に載せて見るべくこの山の形に似たる石や拾はむ
知人(シリビト)に傘はあづけて帰るさを野路にとりけり春の夜の月
芭蕉葉の巻葉の中に人知れず書かばや君にやらむとせし歌
かりそめに執りたる筆も君が名を書きての後は捨て難くして
道のべの草にすがれる老蝗何に命をつなぎとめけむ
鈿(カンザシ)の落ちたるらしき音ありて馬道(メドウ)のあたり月おぼろなり
紙鶴を妹にあつらへ鶴の背に息吹き入れて飛しても見つ
〈感想〉
服部躬治(はっとりもとはる)、(1875~1925)。
明治26年(1893年)、落合直文のあさ香社結成に参加、明治31年(1898)、尾上柴舟らといかづち会を結成。
明治34年(1901年)『かぐづち』出版。
冒頭と文末に、「紙の鶴」を詠んでいる。ふと目にした事象について、なぜ、気に留まったのかを、自身の中で、しっかり咀嚼してから、歌にしている。
私には、抵抗感がなく好意的に読めた。ロマンティックな情景描写をしながらも、読者に自分の歌を押し付けたり、自分の歌に引っ張り込んだりは、しない。尾上柴舟とも交流があったことを知り、その点を、納得した。歌が詠われた時点で、歌が、作者から自立しており、作者にも読者にも寄りかかっていない。一首独立が徹底されている。歌と自己の距離が、大変、参考になる。地味だが、その眼差しは、しっかりと対象と自己の間合いを捉えている。