第七回 佐々木信綱 『思草』
佐々木信綱 『思草』(おもひ草・おもひ艸)より十首
〈選歌十首〉
風にゆらぐ凌霄のうせん花かつらゆらゆらと花ちる門に庭鳥あそぶ
変り行く昨日の我われ身今日のわれいづれまことの我われにかあるらむ
竹やぶのいづこも同じ垣根道いづれなりけむ伯母君の家
いささかのよき事なして一つきの酒心地よき此ゆふべかな
願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや
そしる人仇なす人も憎からず袂にかろし春の朝風
ますぐなるひとすぢ道のつれづれに折りてはすつる秋草の花
そぞろありきそぞろ楽しき夕べなりや行くに友あり野辺に花あり
いにしへの聖の書をひもとけば窓の竹村清き風ふく
酒さめて話もつきて岩室の室の外とすごき夜あらしの声
身もあらずあたりもわからずうるはしくたへなる調四方にみちつつ
〈感想〉
佐々木信綱 1872年(明治5年)~ 1963年(昭和38年)
1903年11月 「おもひ草」(信綱31歳)
言葉を知り過ぎてしまっている。「短歌とはこういうものだろう」あるいは、「こういうものだ」「こうあるべき」と、作者本人が、語彙と形に乗っ取られて、自身の個人的な感情の襞が、十分に発露されて居ない印象を受けた。
箔の付いた歌も決して嫌味ではないが、同じ技巧やモチーフが繰り返し出てくる為、後半は、飽きてしまう。ただし、一方で、「『余計なふりがな』が無い」点に、非常に感心した。言葉に真摯なのだと感じた。
序文は、源高湛(みなもとたかしづ・41歳)とあるが、森鴎外の別名と知り、飛び上がる思いがした。というのは、ずばり、この歌集の弱点をついた内容だからである。次の歌集、次々の歌集への布石に過ぎない、とそこには、記されている。