Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第十九回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(2)

第二回 研究発表(歌集『春の日』より選歌と疑問点)(2016.11.19)

前川佐美雄 第5歌集『春の日』(1943)より二十一首
*第5歌集『春の日』は、第1歌集『植物祭』以前に、作歌された歌をおさめている。

〈選歌二十一首〉

向日葵のしげれる中に人目(ひとめ)かねてかなしきものを思ひけらずや

すべもなきわが利心(とごころ)となりにけりしばしは人と物言はざらむ

こらへこしこころのむなし草の穂の夕べひそかに散り亂れたり

かへり来てあきらめがたき身と思へ父母(ちちはは)の前にゐずまひを正す

小山田に山葵(わさび)のにほひただよへり父のあとにつき歩みかへるも

黍畑の星夜(ほしよ)あかりになほゐればこの道を人の通り来るかも

階段をのぼれば義政坐りをり何かににほひが湧くと思へり

あかときのひかり天(あめ)より流るときひとはかすかに眼(まなこ)をひらき

白菊の鉢買ひてかへる街のなか風雲(かぜぐも)り寒さかなしくなれり

かへり来てうつろに寒き室のうち白菊の鉢を畳におろせり

朝茶のみて心のまづしさ思ほゆる今日この家を移るなりけり

なま風がそよりと吹きて雨となる今宵は猫のこゑ甘えをり

青葉くらき森の奥がのひとつ井戸ひそかには見てかへりけるかも

五月雨の池よりとれる泥鯉(どろごひ)をバケツに入れて持て吳れにけり

市ヶ谷の見附に残るかた雪を踏みてわかれて八月(やつき)になりぬ

大降(おおぶ)りの雨の野なかに傘(かさ)かたむけ草苺(くさいちご)摘むこころ安けき

天たかく貿易風の白雲のながらふ夕べやかりがねきこゆ

月きよく照れる野なかのかれむぐら葎(むぐら)のなかに死ぬこころかも

こほりゐる湖(うみ)におり行くまつぴるま何處(いづく)を見ても我等のみなる

山びとはその荒き手に燃えさしの榾火(ほたび)をつかみ煙草吸ふなり

このあした我と山守と銃(つつ)とりて雪のもちやまに寒鳥(かんどり)を追ふ
  

〈気になった歌〉

山坂の道けはしけど何ならず墓みちなれば我のいそぐも

野の遠(をち)の燈(ひ)をこひしがるわが眼(め)つき暗き森より出でて来にけり

さ夜ふけと風吹きかはる裾野原入りて歩むに月かたむきぬ

この家につひに果てなむ身なるかも村人なみに生きむとすらむ

逝きし子の小さき形見をわかつなりのどかなる春の着物もありぬ

花を追ふ人らのなかに交りゐてお寺まゐりのわれらさびしも

ガラス戸に映れるわれにまたたける人の眼(まなこ)も澄みて秋なり

野べに出てそこらの冬を見て歩くおんなじことを今日もしてゐる

病みこもる祖父をあやぶむこの冬は野べの淸采(すがな)も數多(あまた)漬けたり

かかはりの多くある家(いへ)に生(うま)れをり煩(わづら)ひつつもなほ生きむとす

ふるさとの家をいとふにあらざればとにもかくにもわれ生きて行かな

桐の木の花咲く下(した)の井戸ふかし勝手と汲(く)みて飲みにけるかな

雑巾(ざふきん)をすすぐ盥(たらひ)のみづに浮く煤(すす)のにほひのまがなしきかも

わが家の大掃(おおはらひ)終(を)へて安けかりゆふべを風呂に浸るかなしさ

雨降りていよよ靜まる家のうち大人(おとな)ばかりの晝餉のさみしさ

稲妻のしきりする宵(よ)なりいとしづかに白飯(しらいひ)に箸(はし)をつけにけるかも

庭池にあかき金魚が沈(しづ)みゐていもうとの嫁(とつ)ぐみ冬にむかふ

さみどりに空よりあをく澄める池まなく時なく春みづたまる

五合目あたりの雪こそ光れ富士山のそれから上は雲のかくさふ

くろぐろと杉檜(すぎひ)の山の重(かさ)なりの雲にはがれゆくは寂しかりけり

うつし身は杉の割箸(わりばし)ぽんと割りて飯(いひ)食ふことが嬉(うれ)しかりけり

大空の靑(あを)き光におもむかひまたたくひまもいのち愛(かな)しき

〈疑問点〉
この時代に「短歌」と「結社」は社会の中でまたは文学の中でどのように見られてい たのだろうか。
『春の日』歌集のなかにある『春の日以前』(HPには未掲載)はどのように振りわけられたのか。

歌集中の、具体的な描写、固有名詞、事実関係の、正確さ(情報が作者の空想また造語はないか)。
→2016年現在、この歌集を読むことで、作者の日常、思い、人柄が、分かるか。
→2016年現在、読者として過去の歌を読解するために、正確な情報は、必要か否か。なぜ必要か。
選歌した歌と、気になった歌は何が違うのか。

〈その他〉
  前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年~1990年、奈良県出身)
     1921年 下淵農林学校卒業
          竹柏会「心の花」入会、佐佐木信綱に師事

第1歌集「植物祭」(1930)のち靖文社 ・・・・・・・・・・575首 大正15年9月~昭和3年10月製作
第2歌集「大和」甲鳥書林(1940)・・・・・・・・・・・・・550首
第3歌集「白鳳」ぐろりあ・そさえて(1941)・・・・・・・・410首
第4歌集「天平雲」天理時報社(1942)・・・・・・・・・・・710首
第5歌集「春の日」臼井書房(1943)・・・・・・・・・・・・775首 大正10年春~昭和2年3月まで製作
第6歌集「頌歌 日本し美し」青木書店(1943)・・・・・・・630首
第7歌集「金剛」人文書院(1945)・・・・・・・・・・・・・653首
第8歌集「紅梅」臼井書房(1946)・・・・・・・・・・・・・245首
第9歌集「寒夢抄」京都印書館(1947)
第10歌集「積日」青磁社(1947)
第11歌集「鳥取抄」(1950)
第12歌集「捜神」昭森社(1964)のち短歌新聞社文庫 
第13歌集「白木黒木」角川書店(1971)
第14歌集「松杉」短歌新聞社(1992)

*第5歌集『春の日』(『春の日以前』を含む)は、第1歌集『植物祭』以前に、作歌された歌をおさめている。


【参考・引用文献】 
『前川佐美雄全集』第一巻  小澤書店(1996)
三枝昂之 『前川佐美雄』 五柳書院(1993)