Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第二十三回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(6)

第六回 研究発表(『大和』選歌)(2017.2.22)
前川佐美雄 第2歌集『大和』(1940・全550首)より44首

〈選歌13首〉
  ゆく秋のわが身せつなく儚はかなくて樹きに登りゆさゆさ紅葉こうえふ散らす      
  春の日なかに門しめてこもり犬と遊べど畜生われを仲間と思ふな
  衝つきあたる壁もなく靑い空もなくわれの怒いかりの行き盡つくるなし
  聢しつかりと頸くびを支ささへてゐなくては又しても靑空が見えぬことになる
  夜おきて家のまはりを歩きゐる人間といふはさびしくてならぬ
  人間の片割とうまれ三十路みそぢ過ぎ來て何なにおどろしき靑春もなし
  冬の雨にうたるる魚の骨白しこの道のはたて何があるならむ
  秋ふかみ白けゆくわが面おももちのかく正面まともむけば限りなきねがひ
  けざやかに雲ながらへば淚出づ氣ぐらゐばかり高きにあらず
  天も地もただ暗き夜を手さぐりに歩み出づればあやしきこころ
  かなしかる遺のこりの髪かみをまもりつつ春過ぎゆくも知らずありける
  夏草の高しげるなかにかくろひて腐りつく古木こぼくの株かぶは思ふな
  口こうの渴かわきを堪たへつつ歸るふるさとの赭土あかつちの道の晩夏ばんかのひかり

〈気になった歌(11首)〉
  今は世界が狂ひゐるなれ然れども春來くれば野川の魚も食たうぶる
  靑い雲流るれば飛行もかなしきに常に中空にて腹立ててゐぬ
  靑空が頭上ずじやうにうづ卷きしづまればはやく地獄の火くるま燃ゆ
  春といひ秋といふ季節ことほげばつかひはたしたる生命いのちおもほゆ
  荒るるにぞまかせをりにし獸性のよみがへり來る春を樂しむ
  うすぐらき蔵くらの中に來て靜かなり今日も歴史の書ふみ讀みかへす
  ひえびえと畑の水仙靑ければ怒りに燃ゆる身を投げかけぬ
  ぼろぼろと岩ぞくづるる崖に立ち百年ひゃくねんの生いきは誰たがねがふらむ
  いまの世のうつたうしさは言はざれどわれ劣れりとつひに思はぬ
  わが身に流るる祖先の血をふどこの國の言葉聞かさるるとも
  元日の朝日ぞあがる今こそとひとつかみの盬は撒まきちらすべし


〈戦争を詠った歌(20首)〉
  大軍はすでにみんなみに移動して日本の秋のコスモスのさかり
  戰爭の冬をこもりて何すとやへりくだらねばならぬわが身を
  戒律のきびしき時に身を生きて何んの悲願もかくるにあらず
  かぎりなきこの世の夢やまぼろしもわがものとして生きゆかしめよ
  いきものの蛙かへるひとつを殺あやむるもあやに輝かがやくわが眼ぞかなし
  漢口の陥おちいらむ日をわが待てば石にひびきて秋立たむとす
  はじめよりかかる大和の國ありと忘れをりしぞ歎き出されつ
  殉國の美談なりしか膓はらわたのこほりつく夜よをにほふしらうめ
  夜となれば庭の奥どをゆききする洋燈やうとうのありていまも眠れず
  絶えまなく過ぎてゆく時間ときに逆らひてわが熱あつき血を悲しと思ほゆ
  夜をつくし勝負ごとにぞ勢いきほへる虚むなしさや淚ながれてやまず
  かずかずの逆さかさまごとも眼めに見しとはやおぼろなる淚ぐみつつ
  靑空の澄みたるほかは思はねばひびきを立てて飛び行きにけり
  祖先みおやらを遠くしぬぶは四方山もかすみて見えぬ大和と思ひ
  戰たたかひの日にありながら家のうちのわたくしごとをなげかふあはれ
  たはやすく四億の民と言ひなすも悲しきかなや數へがたきに
  たたかひを挑むものあらば鬪たたかふとあはれにひとり眼を耀やかし
  また一つ國ほろべりと報するもわれらありがたしただに眠れり
  大戰となるやならずや石の上に尾を失うしなひし蜥蝪這ひ出づ
  夜よる夜よるをわれらまづしく地つちひくく眠らへばすでに則のりにしたがふ

〈メモ〉
第二次世界大戦中の、37歳時に発刊。

1936年(33歳)~1939年(36歳)までに作歌された歌を納めている。
第一歌集『植物祭』を27歳時に発刊。約10年を経て第二歌集『大和』を発刊している。