Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第三十二回 個人研究(5)

第四回 研究発表 2017.1.23

大正三年~大正四年

春雨はくだちひそまる夜空より音かすかにて降りにけるかも(大正4年、4 春雨)

直訳:春雨は日が暮れてひっそりとなった夜空からかすかに降っていることだ

ひっそりとした夜空から、という表現が目に留まった。雨というと、日中に薄暗い中降っている状景か、夜ならその音から雨を表現することが多いが、暗くて判然としない夜空から、この春雨は降っているのだ。

朝明けてひた怒りたる狂人のこゑをききつつ疑はずけり(大正3年、5 とのゐ)

しづかなる夜よるとおもふに現うつつなる馬ちかくゐて嚏はなひるきこゆ

                                                                                          (大正4年、4 春雨)

一首目直訳:朝が明けてひたすら怒っている狂人の声を聞きながら、それを確かな現実と感じている。

二首目直訳:省略

何をしている時だったか、人が意識から現実に引き戻されるときというもの―意識が自分の内から外に向くときには、他者の存在がなくてはならないのだと、ごく当たり前のことを実感したことがあった。生きている実感とは一人では感じることはできないのだ、と。一首目は、「朝明けて」声によって目が覚めたのではなく、他のことに向いていた意識が狂人の声に反応した瞬間と取った。狂人の怒声が朝から聞こえてくる状況は多くの人にとってなじみがないが、これが日常である作者にとっては現実の、生きているものが発する身近な音だ。

 二首目は静かな夜と思っていたところでふと近くにいた馬の嚏が聞いた。「現なる」とあったため、このような解釈になったがそれと意識せずに読むと違和感がないでもない。いつも現でないものを詠んでいてそれと区別しているのかとなどと考えもしたが、「しづかな夜」という意識から現実に引き戻されたと読むと自然ではないだろうか。

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「つつ」についてです。
関口 | 2017年02月05日

朝明けてひた怒りたる狂人のこゑをききつつ疑はずけり
(大正3年、5 とのゐ)


石川さんの、ご自分の感覚から導き出された解釈が、良いと思いました。
でも、何回もこの歌を読んでいるうちに、何かが引っ掛かる気がしました。それは、「つつ」の直訳が、「ながら」となっているからでは、と考えが至りました。「つつ」は、辞書によると、「打消の表現を導くときは、逆接のようになる。」と載っています。すなわち、直訳は「ながら」ではなく、「ながらも」となります。斎藤茂吉は、歌を作り込む歌人だと、全国大会で学んだ記憶があります。それを踏まえて読むと、「ながらも」と訳せば、より、ニュアンスが出てくるのではないでしょうか。もしくは、歌の意味が変わってくる可能性、もあると考えました。言葉足らずで、済みません。