Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第三十三回 個人研究(6)

第五回 研究発表 2017.3.26

人だかりの中にさびしく我きたり相撲の勝負まもりつつ居り (大正五年、10 初夏)

人だかりの中に、満たされない気持ちで私はやって来た、そこで巷で賑わっている相撲の勝負を見守って居た。

 『あらたま』で「さびし(寂し)」は頻繁に出てきており、食傷気味になるが、どの歌も同じようにはつかわれず、それぞれのさびしさを読み解こうとさせられる。さびしい我は人だかりの中でどんな思いでその勝負を見守って居るのか。「まもる(目守る)」もよく使われる語なので(今回はそのまま、見守ると読んだが)その言語表現の細部が見えれば違う状景が見えるように思う。


しんしんと夜は暗し蠅の飛びめぐる音のたえまのしづけさあはれ

夜は暗し寝てをる我の顔のべを飛びて遠そく蠅のさびしさ

汗いでてなほめざめゐる夜は暗しうつつは深し蠅の飛ぶおと
              (大正五年、11 深夜)

蠅が飛びまわる音が絶えることや顔の辺りから遠のいていくことをさびしく思う描写に、蠅に親しみかいとおしさのようなものを感じているこの情況はどんなものだろうかと、考えながら読んだ。一連で挙げている三首目から、病気で動けないような苦痛のなかで、夜の静寂を恐れて、蠅の飛ぶ音に心ひかれている作者を想像した。異様な組み合わせがごく平易に詠まれていると思う。


七ななとせの勤務つとめをやめて独ひとり居いるわれのこころに嶮けわしさもなし

おのづから顱ろ頂ちょう禿はげくる寂さびしさも君に告げなく明けくれにけり
                         (大正六年、7 独居)

一首目、七年続けた勤めを辞めて独り家に居る、私の心に今は激しいものはなく、おだやかだ。

二首目、おのずと頭のてっぺんの禿げてくる寂しさすら君には伝えられずに日々が過ぎていくことだ。

茂吉の一人の「勤務つとめ」人の生活に即した歌(ここでは仕事を辞めた生活だが)は、生活の中の事柄(言葉)が巧みに組まれて、歌となっている。茂吉がこの時、「勤務」と作歌をどのように両立していたかはわからないが、その生活は現在に近く、共通する人も多いもので、そこからくる読みやすさ、共感しやすさが茂吉の歌の、多くの人に読まれる理由のひとつだと感じた。(文責:石川)

 

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汗いでての歌
あきつ | 2017年03月27日
「病気で動けないような苦痛のなか」と受け取っていますが、汗がでて寝つかれず、まだ目がさめている夜、とは、ようするに熱帯夜で寝られないということでしょう。最近は空調があって、汗で寝つかれないというような経験をしたことのない若者が増えているから、にわかに了解がつかないのでしょうか。そんな暑い夜にはハエだの蚊だのがとびめぐります。蚊帳を吊って寝ていれば蚊は来ないでしょうが、迷い込んだハエが部屋のなかを飛び巡ってあちこちにぶつかっているんですね。

 

返信
「 嶮しさもなし」の「も」についてです。
関口 | 2017年03月26日
「嶮し」には、非常にはげしい。荒い。あわただしい。忙しい。という意味があるそうです。ここで、私が疑問に思ったのは、「(嶮しさ)も」としている点です。
「も」(係助詞)は、下に打消の語を伴って、強める。用法があるそうです。
とすると、私の解釈では、石川さんの「おだやか」とは異なり、「忙しさもない」という、独居の生活の張りの無さ、を詠っているのではと考えました。