第四十一回 『相聞』與謝野寛
『相聞』與謝野野寛(明治43年)
<選歌十五首>(全997首より)
ころべころべころべとぞ鳴(な)る天草(あまくさ)の古(ふ)りたる海(うみ)の傷(いた)ましきかな
三十(さんじふ)をニ(ふた)つ越(こ)せども何(なに)ごとも手にはつかずてもの思ひする
恋(こひ)するはそのよく光(ひか)るさし櫛(ぐし)をかりて心(こころ)をわが照(てら)すため
作者なるMAUPASSANT(マウパツサン)の発狂(はつきやう)に思(おも)ひいたりて手の本を閉づ
わが涙(なみだ)野分(のわき)の中にひるがへる萱草(くわんぞう)の葉(は)のしづくの如(ごと)し
襤褸袈裟金襴(つづれげさきんらん)着たる赤鼻(あかはな)の乞食人(かたゐひと)よぶ奈良の大寺(おほてら)
わが馬(うま)の薊(あざみ)の葉(は)をばこころよく食(は)む傍(かたはら)にこの文(ふみ)を書(か)く
三年(みとせ)ほど見とれてありき美(うつ)くしき夢(ゆめ)の世界(せかい)の画(ゑ)として君(きみ)を
酔(ゑ)ひあざれ日(ひ)のてる下(もと)を相(あひ)行(ゆ)きぬ足(あし)も踏(ふ)ままく手つなぎにして
わかうどはかりそめごとのやうにして中(なか)にも言(い)ひぬ身(み)に染(し)むふしを
筆(ふで)とればすぢなきことを書(か)きつらぬ悪(あ)しきは恋(こひ)の癖(くせ)にもあるかな
悲(かな)しきは舞台(ぶたい)のうへの若人(わかうど)が楽(たの)しき恋(こひ)を物語(ものがた)る時(とき)
うまれつき我(われ)はあなづる父母(ちちはは)をものの教(をしへ)をましてふるさと
一大事(いちだいじ)国(くに)の無得(むとく)をわすれ居(ゐ)き三月半(みつきはん)とし歌(うた)よまぬわれ
大空(おほぞら)の打(うち)黙(も)だしたるさびしさを時(とき)にわが持(も)つわが妻(つま)も持(も)つ
『相聞』について
作者37歳時の第7歌集。明治32年に「明星」創刊。明治34年に晶子と結婚。明星派の全盛期を築く。明治43年「明星」廃刊。この歌集『相聞』は與謝野寛の明星後半期の集大成である。選歌に関しては、本歌集の中で、敢えて、作者が自分を突き放して詠っている(と思われる)歌を選んだ。
【参考・引用文献】 『現代短歌全集』第二巻 筑摩書房(1980)