第四十七回 『新月』佐佐木信綱
『新月』佐佐木信綱(大正元年)
<選歌11首>(全300首より)
あたたかき陸(くが)を慕(した)ひて数千(すうせん)の鳥(とり)むれ渡(わた)る松前(まつまへ)の秋(あき)
長崎(ながさき)の船出(ふなで)の朝(あさ)を小舟(をぶね)漕(こ)ぎ一言(ひとこと)いひに来(き)にしおもかげ
ゆく秋(あき)の大和(やまと)の国(くに)の薬師寺(やくしじ)の塔(たふ)の上(うへ)なる一(ひと)ひらの雲
枯木(かれこ)立(だち)心々(こころごころ)のはなれたる二(ふ)人(たり)は添(そ)ひて道(みち)をあゆめり
峠茶屋(たうげぢや)人(ひと)かげあらず、止(とま)りたる柱時計(はしらどけい)に薄(うす)き日(ひ)さして
のこりたる麦酒(びいる)の泡(あわ)を見(み)まもれるうらわかき眼(め)のあつき涙(なみだ)よ
幕(まく)あひや髪(かみ)のかたちの変(かは)れるにふと見(み)忘(わす)れしうしろ影(かげ)かな
山(やま)の上(うへ)の湖(うみ)の安(やす)きに心(こころ)倦(う)みて荒海(あらうみ)おもふ若(わか)き舟人(ふなびと)
山(やま)黙(もだ)し海(うみ)も黙(もだ)しぬおごそかにひかり繁(しみ)みに星(ほし)は照(て)らせり
ぽつかりと月(つき)のぼる時森(ときもり)の家(いへ)の寂(さび)しき顔(かほ)は戸(と)を閉(と)ざしける
我(わ)が行(ゆ)くは憶良(おくら)の家(いへ)にあらじかとふと思(おも)ひけり春日(かすが)の月夜(つきよ)
『新月』について
第2歌集。作者40歳時。伊勢国鈴鹿郡石薬事村(三重県)出身。昭和38年に歿(91歳)。第一歌集『思草』は明治36年、作者31歳時に刊行。序文や跋文は一切無い。第一歌集『思草』を扱った時よりは、作者像が見えて来た気がする。しかし、前回同様に、「言葉を知り過ぎている」ということを感じ、学んだ。言葉が先行していないと思える歌をなるべく選歌した。
【参考・引用文献】 『現代短歌全集』第二巻 筑摩書房(1980)