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「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第六十四回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(21)ー『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)に学ぶ⑦

第六十四回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(21)ー『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)に学ぶ⑦

〇表現の特質
  ・自己の客体化
  ・自他の二重性
  ・自他の交換
  ・既成への否定意志
今回は、上記の「自他の交換」についてを要約します。

〈表現の特質ー自他の交換〉                   
窓の無いいんきな室で僕はいま自分の足のうらかへし見る

生(なま)じろいわが足のうらを見てゐるとあの蛇のやうに意地悪くなる

陰性なあの蛇はきつと人間のあしのうらのやうに冷(つめ)たきならむ

壁にゐる蛇に足のうらを見られたりこのこころもちは死ぬ思ひする

窓の無いいんきな室にあきはてて四壁(しへき)の裾を這ひまはるなり                                                

雨のふるいんきな日なり壁にあるにんげんの指紋のいかにかなしき

                       (『植物祭』「蹠」)
 一首目、まず、陰気で窓のない奇妙な部屋で足うらを返して眺めている〈私〉が提示されている。「窓の無いいんきな室で」という場面設定は、非現実的なものであり、かつ、心理的なものである、という断りの役割を果たしている。二首目で、足のうらの生じろさを見ていると、いかにもひよわな駄目な人間の典型のように思えて、意地悪い蛇の(意地悪い)加虐的な気持ちになってくるという心理的な展開がある。三首目は、皮膚感覚として蛇への嫌悪を述べているが、この時点で、〈蛇〉=〈私〉のとなり〈蛇〉への嫌悪はすなわち、〈私〉への嫌悪となる。四首目では、二首目で「蛇のやうに」と比喩として登場した蛇が、もう、この部屋であたかも実在するものとして、〈私〉の足のうらを見つめている。五首目、〈私〉は〈蛇〉に感染し、いつのまにか蛇そのものとなり壁を這いまわる。そして、六首目で、現実に引き戻され、結びに向かう。

 「蹠」の一連には、色々な自他交換、自他の同質化が起こっているが、肝心な点は、〈私〉〈蛇〉〈足のうら〉〈壁〉も、それぞれの固有性から自由になって、任意に入れ替え可能になっている点である。るつぼの中で自他のちがいが溶解していく、その様相である。それを、「窓の無いいんきな室で」という比喩表現が、雨に閉ざされた暗い窒息感を表し、詩のリアリティに効果的な支えとなっている。

 

棕梠のかげで少女が蝶蝶をつまむからわれの頭が何んてのぼせる           カンガルの大好きな少女が今日も来てカンガルは如何如何かと聞く          覗いてゐると掌はだんだんに大きくなり魔もののやうに顏襲ひくる
野の草がみな目玉もちて見るゆゑにとても独で此処にをられぬ           逆さまにつるされた春の樹木らのいかに美しくわれを死なする
                       (『植物祭』) 
 一首目、〈私〉はなぜのぼせるのであろうか。この歌は、「蝶々をつかまえるといった生き物の自由を奪う行為を少女がしているのは、けしからん行為(だからのぼせた)」ともとれるが、一連に、「カンガルの・・・」の歌があることから、少女弾劾の歌と読むことはできない。とすると、考えられるのは、つままれた蝶々に感染して自分がおかしくなったからである。つまり、〈私〉=(〈少女〉や〈少女の行為〉ではなく)〈蝶蝶〉だからだ。

 三首目は、〈掌〉は〈私〉の部分として〈私〉の意のままに動かすことが出来る、その関係性から解き放たれて、自分を襲う、別の存在になっている点に注目したい。

 四首目は、「見る」という行為の関係性の逆転。〈もの〉が主体的な意図をもって〈私(=人間)〉を追いつめている図式が成立している。

 五首目における、〈樹木ら〉はなぜ〈私〉を死なせることが可能なのだろうか。それは、〈樹木ら〉が逆さまに吊るされて死なされているからである。あとは、〈樹木ら〉と〈私〉はいかようにも交換可能な自他であるから、〈樹木ら〉に〈私〉が入れ変わる時に〈私〉は死ぬ、死んでしまう、死んでいる、という意識が、この作品を作らせている。

 

 ここまでの、《自己の客体化》《自他の二重性》《自他の交換》といった形で抽出した特徴は、それぞれ別の現象ではなく、自己批評の意識が自分を客観的に見る見方を生み出し、自己客体化が進めば、他者や事物と替わる純客体のレベルまでゆくことができるわけである。それらが、どこから導き出されるのかは、第六十回の略歴に述べられた、
 〇佐美雄的世界の特徴 p77
-変質者、白痴、鬼ー 佐美雄の変身系列は常に、世間的な尺度への反措定、強い反措定である。                                     に求められる。                                             
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次回は、表現の特質における「既成への否定意志」を要約します。

【参考・引用文献】 
『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)