Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の詩 ― 斉藤政夫の詩への感想

斉藤政夫氏の詩への感想

 読んで泣けば良いという訳では無いが、この詩には、細部に斉藤氏の表現への希求が、確かに見られる。心の底から書かずにはいられない渦が巻き上がり、斉藤氏の気息が嵌め込んだ言葉が顕れる。例えばそれは、『遺伝的なもの』の中の「(哀しみの)かたわれ」、『あなたの声』の「(言葉が)足りない」、「時のやさし」という表現に、氏が短歌を通して学び得た、言葉への、品性、美しさ、が確固としてあるのだ。これらの、見失われそうなほんの一つずつの言葉。なぜか分からずに繰り返し繰り返し読み、「神は細部に宿る」という意味を知らしめられた。この二篇は、嘆きではない、曝け出した慰めでもない。「詩」なのである。それも、血の通い、自立し、(読み手の中で)動き出す、「詩」であるのだ。

本日の詩-斉藤政夫 ニ篇

【生きてゆくのが苦しい(2)】作・斉藤政夫

 遺伝的なもの

日下新介の詩はいいな
平坦で
ぎこちないけど
飾りがなくて
苦難の生い立ち
哀しみのかたわれに喜びがあったこと
まっすぐに 歌ってる

私にも 苦難の思いで
……ちょっとだけ 
ありました
父への憎しみと
母へのあわれみが

父は身勝手に生きた
母は不幸を必死に生きた
私はゆがんで生きている

こんな気持ちは墓場に持っていこう
こんな遺伝子はすっかり焼きつくしてほしい

だが、気がかりなのは
子どもたちに私の遺伝子を残したことだ

 

 あなたの声

ふと目を上げると
きのう見た雲と違うから
言葉をさがすけど 
 ホイッスラーの「肌色と緑の夕暮れ」のようには
雲を表す言葉が足りない

無音の空に雲が動く
 左から右へ 微かに
手前の雲はちぢれて 幾分速く
逃げていく
雲が消えた後には灰色の空が
その向こうに  闇の奥

窓の端に朱色が射し始めるころ
公園から子供らの歓声が
 精一杯遊んでも、まだ物足りなくて
波が引くように消えていく

白と黒のまだらのあわいから
微かな声がこぼれてくれば
あなたの声だと分かります

もうすぐ安息の時が
時のやさしが
――どうか、傲慢な私を許してください
頭(こうべ)を垂れ、今すぐ
あなたのもとへ

本日の一首

夕暮れの光の海に幾重にも漣広げ船すすみゆく

 斉藤政夫(「八雁」会員)

 阿木津英選 一位  互選六点

  平成二十四年 九月八日・九日 第一回八雁短歌会全国大会 in 北九州 ( *参加者75名)

 2020年11月のある日、斉藤政夫氏よりメールにて「さて、私、疲れたので・・・・・・」と「八雁」を退会する旨の連絡が来た。驚いた。何に驚いたのかというと、斉藤氏が「疲れた」と率直に仰ったことにである。斉藤氏は組織の中で、独特な振る舞いや動き方をしながら、その高いスキルで、「八雁」の編集作業の縁の下の力持ちとして存在感を放っていた。作歌をしていない時期も歌集を読み歌論を誰に見せることも無く書かれていた。斉藤氏は熱い心をもった人であったが、作り笑いをする人ではない。他人様からどう思われようが、徹底して自分の意見や役割を、正確さと責任感を曲げずに終始、自己完結した姿勢を貫き通した。       

 私と斉藤氏の接点は、斉藤氏が作成してくださった、インターネット掲示板「はなぶさむら」(*2020年11月をもって終了・閲覧可)にある。なかなか閲覧率の上がらない掲示板での掛け合いは、この2020年をもってついに思い出になってしまった。上記の歌は、「第一回八雁全国大会」時の阿木津選一位の歌である。逐語訳をすると「夕方の夕日の光のあたる海に幾重にも、さざ波を立てさざ波を広げて船は進んで行く」となる。一見、誰しもが詠えそうに思えた歌であるが、随所に斉藤氏の気配りが感じられる。「光の海」や、「すすすみゆく」(「すすむ」だけでなく「すすみ『ゆく』」)のだ。夕暮れの海は、とても切ない。そして、刻々と変化する。そこに、すすみゆく船とあり、夕暮れの景色の物悲しさをただ詠うのではなく、その中に、もう一つ、前へ前へ向かう動きを詠みこんだ、斉藤氏の意思を感じる。私は作り笑いをして来た人間である。相反して、作り笑いをされては疲れてきた人間でもある。であるならば、私自身が変わろう。「疲れた」と言える人間になろう。そして、それでも他人様の信頼が得られる様に努めよう。進んでいる船を眺めているだけではなく、前に進んで行くその意識を持って行きたい。歌友、斉藤政夫氏へ、この上ない敬愛をもって、感謝の気持ちと共に、ここに記す。

 <参考文献>  

八雁短歌会非公式掲示『はなぶさむら』

http://hanabusamura.bbs.fc2.com/

本日の一首 — 石川啄木の歌の時代背景

石川啄木の歌の背景>

 

 啄木の歌は簡単にみえて、返って分かりづらい。

 自然主義はいつから始まったのか?

 ・啄木も自然主義を詠った歌人の一人である。

 

M29・M30年 

 正岡子規が生きていた頃、日清戦争があった。子規は従軍している。日清戦争に勝って日本は軽工業を始める(戦勝金を得た為)。絹などの繊維産業である。

 

M37・M38年 

 日露戦争がある。かろうじて勝った。軽工業から重工業、八幡製鉄所など富国強兵のプログラムにのっていく。M34年より八幡製鉄所に火が入る。最初はうまくいかなかったが、10年経ち、日露戦争に勝って戦勝金が入り、日本の経済が一気に上向きになり、M43年までに産業革命が完成した。産業革命が完成したということは、資本主義経済に市場がなっていくことである。(Ex, 大地の子

 鉄というのは非常に重要な産業である。武器製造にも関わりがある。その結果、非常な勢いで都市化が進み、市場経済が始まる。日露戦争後、都市化が進んだことで、悪所、享楽といった、歌舞伎町(吉原?)などの歓楽街が出来て来る。

 

M40年、吉井勇の歌

「われと堕ちおのれと耽り楽欲(げうよく)の巷(ちまた)を出でぬ子となりしかな」

 

M40年 

 戦場に行っていた森鴎外が帰国。

 

M40年3月 

 観潮楼歌会が始まる

 ・根岸派と明星派が離れている状況を一つのものにしたいと、与謝野鉄幹佐佐木信綱や伊佐千夫らを招いて歌会を始める。そこに、若手の、斎藤茂吉北原白秋石川啄木が連れられて来る。M43年6月まで続いた。(興隆したのはM42年)

 

根岸派とは違う、

耽美頽唐派吉井勇、木下杢太郎、北原白秋、石井栢亭(画家)、山本鼎永井荷風(フランスより帰国)で「パンの会」(*パン=酒の神)を隅田川のほとりの西欧料理屋に集まって、異国情緒を交わす会を開いていた。隅田川はフランスのセーヌ川を気取って決まった場所である。歌を論じあい、食を楽しんだ。

 この頃から、「馬酔木」等などの活動していた一派が、10月「阿羅々木」を創刊する。それと入れ違いになるように、「明星」が100号をもって廃刊となった。

これは、与謝野鉄幹の弟子であった、吉井勇北原白秋らが与謝野鉄幹が弟子の歌を盗るなどの評判が立ち、団体で「明星」を脱退したことと、時代が自然主義が興隆する時代で、それに対して、与謝野鉄幹は芸術派として自然主義に反対していた、二つの理由による。

 M39年から一時代を築いた「明星」がこの頃に廃刊となる。そのかわりに、翌年、M42年1月から『スバル』を創刊する。この『スバル』は森鴎外を後見人にして、平野万里、石川啄木など明星に属していた若手が編集を担当し、『スバル』(総合文芸雑誌)を出す。

 この当時の啄木の動向は、何回か上京している、M41年には北海道の新聞社の編集長で羽振りも良かったが、自分の文学への気持ちがまだ残っていた為、5月には上京し、すぐに観潮楼歌会に参加し、吉井勇とほとんど一日おきに会っていた。その時、吉井勇のことを啄木が日記に書いている(*吉井勇が花街に通う事)。そして、秋には吉井勇を見限り、その後、年末には木下杢太郎も見限っている。

 M42年3月に、朝日新聞社に勤務し始める(妻と子の上京)。その間、様々なものを書いている。すでに4月の段階で賃労働者であることへの切迫感を日記に綴る。

 

M42年11月

 「弓町より―食うべき詩」に、そもそも詩人とは何なのか?等、啄木が自分自身へのそれまでの考えを自己否定する思想を述べている。

 

M43年6月

 観潮楼歌会衰退。この頃までに産業革命完成、急激な都市化、資本主義体制化。

 

M43年12月

   『一握の砂』出版。(*M43年に作った作品をもとにしている)

  

<引用・参考文献> 

阿木津英「歌のなかの女たち―近代歌人の求めた耽美頽唐」『売買春と日本文学』東京堂出版 (2002)

 

本日の詩

「きらめきのゆきき

 ひかりのめぐみ

 にじはゆらぎ

 陽は織れど

 かなし。

 

 青ぞらはふるひ

 ひかりはくだけ

 風のしきり

 陽は織れど

 かなし。」

 

  《中略》

 

「にじはなみだち

 きらめきは織る

 ひかりのおかの

 このさびしさ。

 

 こほりのそこの

 めくらのさかな

 ひかりのおかの

 このさびしさ。

 

 たそがれぐもの

 さすらひの鳥

 ひかりのおかの

 このさびしさ。」 

 

  宮澤賢治 『十力の金剛石』福武書店(1983)

 

誰にも、誰にも、知られたくない詩、だった。

悲しい時に、この詩に浸り、寂しさを埋めた。

この先も、これまでにない、心細さを感じる。

その時までに、より強くも弱くも、なりたい。

未だなお四十二歳とし、この詩をここに置く。

本日の詩

 

「ほろびのほのほ湧きいでて

 

  つちとひととを つつめども

                                      

  こはやすらけきくににして

                                        

  ひかりのひとらみちみてり

                                        

  ひかりにみてるあめつちは

                                                                                              

  ・・・・・・・・・・・。」 

                 

      宮澤賢治 『十力の金剛石』福武書店(1983)

  この詩を前に、私の、私の、孤独など、これっぽちも敵いはしないのだ。

本日の一首 

この花も終ると思ふわびしさに夕寒む寒むと剪り惜しみつつ

  江口きち 『江口きち歌集(『武尊の麓』)より 』 至芸出版社 (1991)

  色々な本と色々な出会い方をする。その人その人によってそれは違うものである。私が「江口きち」の名を聞きかじったのは、五年以上前になる。心の隅に掛けられていた、名前。そしてなぜか、その名を忘れることは無かった。2020年2月に独居を始め、3月から自粛生活が始まった。予期せぬ事の連続と一人であることの甘えから、易き方に流れて半年以上が経つ。今、今ではないか、何もないと虚しくなった秋空に、縋る様にこの歌集を手にした。この二首は、どうであろう。一人住まいであろうが同居人がいようが、予定調和であろうがそうでなかろうが、関係無い。作者の世界観が、読後に如実に顕れる。歌を詠むには、強さも弱さも求められるのだ。強さも弱さも必要なのだ。