Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 喜多昭夫

君はいつもわき目もふらず立ちあがるコーヒーカップの縁を拭ひて

 喜多昭夫『哀歌ー岸上大作へ』八雁・第56号 (2021)  

<メモ・感想>

「八雁」第56号の中より抜粋するにあたり、一番分かり易く、一番思いやりの感じられる一首を目指して今号を読んだ。『哀歌ー岸上大作へ』とあるから、岸上大作の所作を思い起こしてのことだろう。しかし、この歌から私が感じ取ったぬくもりは、岸上大作が云々ということではなく、作者がずっと記憶のどこかに置いていた、昔のとある人の習慣、癖を忘れずにいられたことである。その心持ちに私は共感する。「人間は忘れる事の出来る生き物」である、とどこかで聞いたことがある。そして、忘れられない記憶とは、繰り返し繰り返し、要所要所で記憶が喚起されたものだとも。わき目もふらずに席を離れるその去り際に、無意識の癖で、儀式の様に彼はコーヒーカップの縁を拭う。そこを詠うことで、その彼の姿、性質が伝わって来る、彼の人となりを伝えようと詠っている。最近、自分自身を含め、「私はこういう視座にいます」と、いつもの椅子に腰かけるようなスタイルの決まった歌が多いと感じる。でも、この歌はそれとは異なる感情の通念を感じた。景の切り取り方が美しい歌であると思った。

本日の一首 ー 吉田佳菜『からすうりの花』

 『はなぶさむら』より引用 (文責・関口)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〈選歌十首〉

 

吉田佳菜 『からすうりの花』 国際メディア(2015)
 
 
久びさに訪ねくる人待ちわびて部屋ごとに置く水仙の花
 
花びらはわが頬に髪に乱れ立ちつくしたりしばらくの間を
 
髪きりて帰りの道を曲がるとき首すぢに吹く風やはらかし
 
雨の日のコーヒー店に人気なくカサブランカは静まりて見ゆ
 
誰が編みてほどきし糸か白白とからすうりの花夕べの垣に
 
絵筆置きもどかしきまま立ち上がるコスモスの花のいろを描けず
 
二十二時過ぎの電車を待つ駅に本屋のシャッター静かにくだる
 
掃き寄せてもみぢ葉過ぎし日々のごと堆(うづたか)くあり何かいぢまし
 
逆光の窓辺に花かご一つ置くベッドにそれをぼんやり眺む
 
病室のロールカーテン巻き上げて月のひかりを浴びぬベッドに
 
花びらよ散れよと言へば夜の風に吹かれて受けり桜はなびら
 
《感想》
 疲れていた。泣きたかった。そんな折に、この歌集を開いた。私は泣いた。私が思っていた、優しさや謙虚さは、如何程の思い上りだったか。こんなにも、そっと人の傍らに佇むような優しい歌を、私は他に知らない。
 「しばらく」「やはらか」「静まり」「何か」「ぼんやり」。これまで、自分が何度使い、何度突き返された言葉が、元来の意味のまま、歌に存る。
 何かを掴みとるのではない、感じ尽くすのだ。生き方が歌に出る。
 天にいるであろう著者は、傲慢な私にそっとそれを見せてくれた。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<メモ・感想>

もし、今、「どの歌集が好きですか?」と尋ねられたら、何と答えるであろうか。少し前ならば、あっけらかんと「前川佐美雄です。」と答えていただろう。しかし、ここに来て、即答できない自分がいる。「冴えわたる歌」は幾らでもある。では、「寄り添うような歌」はと思馳せると、私は、上記の歌集しか知らない。「上手い歌より良い歌」という格言すら、この歌集のどの頁を繰っても、恥ずかしくなる。「八雁」は地方性と無名性を大切にする集団である。吉田佳菜氏は決して有名ではない。皆が知っていて、皆が注目するような歌集でも歌人でもない。だけれども、私は、何度も、この歌集の存在ー自身の本棚にある背表紙をちらりと見てはーに救われて来た。魂は、一度売ったら、次も売る、その次も売る、売り続けて、原形のままは二度と返っては来ない。覚悟しなければならない。決して、魂を売ることなく、作歌していくということを。求められて作るものではないことを。売れるか売れないか、よりも、伝えられるか伝わるか、そこを、必死に自分にしがみつき、権威から、守り守り、生きていきたい。

八雁10首選(2021年1月号)

2021年1月号の八雁から十首選んで覚書。

 

婚前のあの日義母よりわたされし黒水牛の印鑑は岡 (岡由美子)

 結婚前に、新姓の黒水牛の印鑑を義母からもらうということの意味するところ、言外のメッセージがひしひしと伝わってきた。

 

風わたる外階段のつづら折り打ちては展ばすごとき足音 (遠藤知恵子)

 「打ちては展ばすごとき足音」に、金属でできた階段をカツンカツンと登っていく様子がよく表現されており、心惹かれた。上の句も言い得ていて、どのような階段なのかがきちんと伝わる。

 

洗濯機の暗い水音聞いている必ず老いてゆく身体もち (千倉由穂)

 「暗い水音聞いている」に惹かれた。自分の生命、老いといったものを予感していることを、水音と取り合わせたところがよかった。洗濯機を覗き込みながら、自分の未来について考えているのだろう。

 

意識なき妻といふとも生きをればけふ金婚の日を迎えたり (中井康雄)

 意識がなくても、生きていてくれさえすれば夫婦でいられるという夫の思いが胸に迫った。連れ添う相手との時間を一日いちにち過ごし、金婚の日を迎えた実感。妻にも「今日は結婚記念日だね。50年経ったんだよ」と語り掛けていることだろう。

 

大嵐ひと夜荒れたる川の面はいたくやつれて芥をながす (中村有為子)

 大嵐が一晩荒れ狂った翌朝の川の表情を「いたくやつれて」と比喩したところ、強くひかれた。

 

地下街をのぼり出ずれば秋日和にごる斜光の中を人行く (松岡晧二)

 この歌が、今回の八雁の中で最も好きだった。地下街から地上に出た時の、道行く人々の光景。よく描写されている。秋の日は斜光、少し昼を過ぎて傾いていて、濁ったような温かく黄味がかったような色をしているだろう。その中をゆく人々が、なにか光に溶け込んで蒸発してしまいそうな、非現実めいた現実の美しい光景を感じた。

 

文明を興しし民のすゑの子ら瓦礫のなかにVサイン見す (井上克征)

 中東あたりで起きた戦乱だろうか。あるいは震災の可能性もゼロではない。いずれにしろ、子どもたちは瓦礫のなかにいる。これから一歩ずつ生活をやり直していくのだろう。写真にVサインをして映る姿は、ゼロから文明を興した人々の末裔たる力強さ、根強さを持っているように感じられたのだ。

 

松の葉の積もるが上を踏む足に柔らかき温み伝わりてくる (島田達巳)

 とても気持ちのいい歌。落ち葉を「松の葉」と具体的に詠んだことによって足裏の感覚が読者である私にも心地よくリアリティをもって伝わってきた。

 

どこまでも群青なればべりべりと空を剥がしてみたいこころは (佐藤邦子)

 下の句にいかなければ「群青」が空だとはわからない。わからない状態で「べりべりと」いう破壊衝動を読んでいくのが楽しい。結びを「こころは」としたところ、とても素敵だと感じた。

 

本日の一首 ー 石田比呂志『冬湖』

鳥だって虫だってあの魚だって自分の居場所くらい知ってる

夜半覚めて時計の針を確かめてお臍の穴を覗きて眠る

今日もまた雀がしたり顔に鳴く短歌単純化、短歌単純化

短歌とはよんでくださるあなたへの灯ともしごろの愛の小包

飛ぶ鳥は必ず堕ちる浮く鳥は必ず沈む人間は死ぬ

 石田比呂志『冬湖』(2017) 砂子屋書房 

<メモ・感想>

 最近、自然に目尻に涙が湧くようになった。疲れているのだ。何に疲れているのか。自分にである。自分の短歌の暗唱力の無さに自身、疲労困憊している。<こんな歌があの歌集にあった>はず。現実は厳しいもので、「はず」のものが、見つからない。情けない。今回の掲出歌は、『石田比呂志全歌集』の中に思い当たりをつけていた歌が見つからず、そんな自身を慰めてくれるように感じられた歌である。石田比呂志氏への感心は、発想力と発想の転換にある。だがそれは、軽々しい物言いとは異なり、深い造詣によって固められた地から芽吹き、伸びる、枝葉や花である。今の私はどこかから欲が入り交じり、謙虚さを欠いている。それが自作の歌にも表れていると感じる。情けない。情けない。実に、在り得てならない座標値に居る。掲出歌の一首目、結句が「知ってる」とある。「知っている」ではない、口語表現になっている。このセンスは昨今の口語短歌としても通じる。歌を、知っている、歌というものを、知っている。知っているからこそ、幅広く詠える、「余力」。それを思い知る毎に、やはり、目尻に涙が湧いて来るのだ。

 

梅を詠んだ歌

梅が咲き満ちている。昼は白や紅に樹全体がけぶり、鳥が鳴き集う。夜は濃く甘い香りが漂い、心惹かれる。詠いたいのに、どこから詠っていいかわからない。梅という題材は、どのように詠まれてきたのだろう。

 

我がやどの梅の下枝に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ (高氏海人・万葉集五)

色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも (よみ人しらず・古今集

わが宿の梅のさかりにくる人はおどろくばかり袖ぞにほへる (藤原公任・後拾遺集

春の夜は軒端の梅をもる月の光も薫る心地こそすれ (藤原俊成千載和歌集

大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月 (藤原定家新古今集

とめ来(こ)かし梅さかりなるわが宿をうときも人はをりにこそよれ (西行・同上)

 

どの歌も好きだ。

俊成の「春の夜は…」は、夜の梅(白梅を想像した)を洩れてくる月の光という光景がありありと浮かんで美しい。そればかりでなく、その月光までも薫ってくるようだと詠んだのはなんと素敵なのだろう。夜の梅のあの、花は見えないのに香ってくる清らかで華やいだ感じ。こんな風に詠うのかと感激する。

定家の「大空は…」は、初句が大きな景を提示して大胆で、ぐっと心を掴まれた。梅の香りが強く薫って、まるでその香りのせいで曇っているように感じられる。空には曇りも果てない、朧月が出ている。この歌は同じ新古今集大江千里の歌、「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」を本歌としているそうだ。本歌が朧月の美しさを詠んだのに対し、濃厚な梅の香りがこちらまで漂ってくるように、視覚に加え、嗅覚が詠み込まれた。

近代短歌を見てみる。

 夏ながら葉の散り落つる梅の木の下べの窓に一人して居り (島木赤彦・氷魚)

冴えかわく斑雪の庭に梅の木の莟はしるくつやだちて見ゆ (土田耕平・一塊)

屹(きつ)として咲かん気色に梅が枝に皆傾けり紅き蕾ら (宮柊二・晩夏)

前に挙げた和歌よりも写生の要素が強くなっていて、対象をまなざす者の視線・自我が感じられる。

赤彦の歌は梅の花ではなく、夏の梅の木を詠んでいてとても好きだ。夏なのに葉が落ちるのは、暑さか、老いたり弱ったりしているからか。木のそばの窓辺に居る作者自身も、梅の木と同じように体に堪えるような暑さを体感していると鑑賞した。

宮柊二の歌は初句の「屹として」にきりっとした音があり、凛として張り詰めた紅梅の蕾が想像できる。漢字にもそばだつとか高いという意味があり、梅の蕾のぷくっと枝から立ち上がったような様が感じ取れる。紅梅が日差しに向かってみな一様の角度をもって付いているさまを言い得ていて、梅の花の状態や雰囲気が非常によく伝わってくる。

 

最後に。梅を詠んだ一連として有名なのは、新元号で話題になった万葉集巻五「梅花の歌」である。先に引用した「我がやどの梅の下枝に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ」もそのうちの一首。この歌について、私は最初それと知らずに読んで心を惹かれたのだが、読み返すうち、あまりに典型的な景であるようにも思われて、どう受け取るべきか悩んだ。すると、新編日本古典文学全集にこの梅花の宴について、「宴そのものが文学的虚構の産物である可能性が大きい」とあり、なるほど、そうだったのかと合点がいった。

当時、梅は中国から輸入された珍貴な植物で、貴族の家の庭にしかなかったそうだ。万葉集の記述を言葉通り受け止めれば、今回の歌は文人たちが、その文壇の中心にいた大伴旅人宅に集って(本当に集ったかどうかは研究者によって見解が分かれる)、大陸渡来の流行の最先端の遊びをし、その遊宴のなかで、次々に梅花の歌を詠んだものだ。漢詩文のほうが詠みやすい舶来の梅を、自分たちのもつやまとことばで、和歌という形式で詠むという試みがなされたのだ。このような背景を含めて、もう一度「梅花の歌」を詠み味わう。大陸文化への尊敬と憧れ。自分たちの文化を生み出そうという理想や願い。しみじみと感動する。

短歌覚書(工藤貴響『八雁』)

かなしみの向こう側なる冬空に機体は白きひかりを走らす

                      工藤 貴響『八雁』2021年1月号

 

【逐語訳】

かなしみの向こう側にある冬空に機体は白いひかりを走らせる

【鑑賞】

かなしみがあって、その向こう側に冬空がある。晴れているのだろう、そこにきらりとひかるのは、飛行機の機体である。遥か遠くに心惹かれて、空のうんと向こうまで意識を飛ばしている感じがある。その心の動きのおおもとにはかなしみが存在しているようだ。具体的になぜ悲しいのか、何があったのかは語られないが、ひょっとしたら作者自身にもわからない悲しみなのかもしれない。ここは具体的にしなくていい部分であり、読者が勘繰る必要もない。それはかなしみであって、それ以上でもそれ以下でもない。理由もなく、ただなんとなく、悲しい気持ち。なんだかわかる気がする。

【疑問&アンサー】

結句「ひかりを走らす」の「を」がなぜ必要なのだろう。

「を」があると、省略のない正しい言葉遣いで、一首が丁寧な印象になる。この作品については音読しても「を」が歌の流れを阻害せず、全体としてアンニュイな雰囲気を纏うような気がする。

「を」を取ると、歌が定型にきっちり収まる。ただ、この歌について「を」取って歌を音読すると5・7・5・7・7と歌がブツ切れになってくる感じはする。盆踊り風といおうか、テンポが優先して、歌の内実に合わないような。

今後も定型と調べについて考察を続けたい。

本日の一首 ー 島田幸典『no news』

 

婚控えやさしき女友だちは襟の糸屑さらりと摘めり

 島田幸典『no news』(2002)砂子屋書房 

<メモ・感想>

良い歌を、自分が良いと思える歌を、この場でお伝えしたくここまで来た。しかし、寂しかったことがある。それは、短歌を始めてから、短歌以外の、主として、大好きだった小説が読めなくなってしまったことだ。小説など読む暇があれば、短歌に関連した書物を読むべきではないか。元来は、ただの本好きである。それが、事もあろうか、文学の真髄を求める場に入った途端、読書に不自由を感じるようになった、本当の本末転倒である。そして、それは年々、色濃くなってしまった。最近、その自由を何とか手元に戻そうと志向している。そんな今日、そう言えば!と思ったのが、この掲出歌である。短歌を始めてから、石田比呂志氏の本の中に、島田幸典氏の名を見つけた。それによれば、(著者は)「『古泉千樫が好きだ』と言った」とある。私は、そこで、島田幸典氏の本ではなく、古泉千樫の本を買い求めた。阿保である。無論、さっぱり読めなかった。けれども、いつか、古泉千樫の歌の良さを分かるようになりたい、とも思った。その様な色眼鏡で手にした『no news』の中で、ああこの歌が好きだなあ、と心から思った。思いながら、いつかその事を伝えようと、2年が過ぎた。そして、ある事でお会いした際に、それをお伝えすると、「いやあ、僕もまだ若かったんで色々と……」とお返事をくださった。あの頃は、いつか「古泉千樫」を分かりたいと本気で思っていた。そして、本気で掲出歌が好きだった。私は、満たされていたのだ。月日だけは過ぎた。もっともっと自由に。阿木津英氏の言葉が、心にこだまする。自分で自分に課した足枷。この輪っかを鋸をもってしても外さねばなるまい。