Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー訂正版 前川緑(一)

束ねたる春すみれ手に野の道を泣きつつ行けばバスすぎ行きぬ

ゆふぐれの光を劃(くぎ)る窓のなかに草や木のあり靑き葉さやぎ

李の花に風吹きはじめ透きとほりたる身をぞゆだねる

野も空も暗い綠のかげらへる景色みるごと君を見はじむ

山の手の小公園ゆ望み見る秋の日の海の靑きかがやき

百年もかかる落葉を踏めるごとうららにさせば冬日かなしき 

  前川緑『現代短歌文庫砂子屋書房 (2009) p20「鳥のゆく空」昭和11年-昭和22年

*引用した五首目、「海の(靑き)」が抜けておりました。ここに、訂正し、お詫び申し上げます。

<メモ・感想>

前川佐美雄の妻。そう紹介していいのだろうか。前川緑の歌集である。一首目から、この感触とこの感覚を求めていたのだ、と誰かに伝えたくなった。まるで胃袋を掴まれたかのようにまず心が先を欲し、それから、じわじわと一首一首が身体に入り込んで来る旨味と栄養となり、それがエネルギーと成って自分もこの様な感性を持ちたいと思えてきた体感と滋養。そして、彼女自身のオリジナリティがちゃんとある歌。こういう言い方でしかならないが、「短歌を続けていて良かった」と思える歌集である。<続>

 

選歌するということ

 先日のオンライン歌会には、草林集から3人の方々がおいでくださった。私はいたく感じ入ったのだった。歌評の着眼点が、わたし(たち)と違う。言葉、文法、用例の確かな知識の上にご自身の考えや感じ方があって、言葉に忠実だ。知識を振りかざしたり、議論に打ち勝とうとしたりといった何か不自然なところが全くなく、とにかく歌にまっすぐに向き合うフラットな姿勢…。尊敬した。

 興味深く感じたのは、選歌についてである。私の最近気になることの一つなのだ。

 歌を選ぶという行為は、最初のうちはもちろん自由に選んでいいのだけれども、やはり勉強に伴って選ぶ目を養わなくてはならない。歌会を通して、自分の選歌を振り返ることが大切だ。

〔振り返りポイント〕

 ①言葉の使い方や文法の誤りに気付けたか

 ②自分の勝手な想像や、体験に基づく思い込みを排除して言葉を忠実に解釈できているか

  ※歌を始めたばかりのとき、「私にもこういう経験があってとてもよくわかる」と発言し、こっぴどく叱られた経験がある。経験の有無は歌と何の関係もない。しかしながら、自分の意識を切り離して言葉に忠実になることは、意識しないと案外難しいのかもしれない。 

 まず、この①、②が基本だ。これを見落として歌を選んだとしたら、大いに反省しなければならない。①、②をクリアしていたら、まあ第一関門はクリアしたことにしよう。

 ③作った人の意図、工夫が生きているかどうかを見極められていたか

 ④歌が誰かの真似や、自分自身の類型に陥っていないか確かめることができたか

 この段階になると、勉強量がものをいう。味わってきた歌の数が多ければ多いほど、技巧には敏感になるはずで、成功した技巧と、効いていない技巧の差を見極める目が育っているか、過去の秀歌の用例に比して表現にオリジナリティや新しさがあるかどうか気づける目が養えているか、他の人の歌評を聞いて検証せねばならない。

 ※私は今この段階で、草林集の方々が「既視感がある」と評した歌を選歌していた。いい歌だと、確かに感じた。そこは間違ってはいない。しかし、「既視感の有無」という観点が意識にのぼらなかった点、また、既視感の判断材料になるだけの勉強を積むことができていない自らの不勉強を大いに反省しなければならない。

 この段階まで来ると、あとはだいたい、好みの問題になってくるような気がする。だから、草林集の方々の選歌も分かれて当然なのである。

 

 とはいうものの。

 私にとっては、阿木津さんの選が最も気になる。それは、私が阿木津さんを心から信頼し、尊敬し、他の人とは別格だと知っているからだ。言葉を通して人を見抜いてしまう、言葉のまとう気配を嗅ぎ取ってしまう、卓越した力。世俗を離れ、歌の良しあしという判断基準のもとに、皆が同じであるという信念。その人の本質的なところをできるだけ汲み取ろうとする懐の深さ、優しさ、おおらかさ。これは私からみた阿木津さんだから、真実の阿木津さんかどうかはわからない。でも、阿木津さんは出会った時からずっと変わらない。それだけでも十分、信頼に足る。だから、どんな一言でも受け止め、繰り返し自分に問いかけることにしている。

 勉強を重ねていけば、阿木津さんのほかにも、この人の目に留まりたいと尊敬と憧れを抱く人が出てくるだろうか。そして、いつか自分の確固たるものの見方が生まれるのだろうか。なんだか、そんなことをふと思った。

本日の一首 ー 小田鮎子

玄関をひとたび出れば見しことのなき顔をして夫が歩く

襟立てて銀座の街へ消えてゆく夫追いかけて見たき日もある

途切れたる会話の間(あい)を縫うように公園脇を電車が走る

子を寝かせブラックコーヒー飲みながら取り戻したきことの幾つか

母でなくとも妻でなくとも昼下がり選ぶ秋刀魚の銀(しろがね)の色

持ち上げて持ち上げられて進みたる話いつしか雲の上ゆく

ブランドのもので覆って悟られぬようにしている心の値段

  小田鮎子『海、または迷路』 現代短歌社 (2019)  

 

<メモ・感想>

 掲出歌より、作者は「妻」であり「母」であることは確かだ。一冊の歌集の中でも「子」や「子育て」のことを詠っている歌が中盤を占めている。また、結社の内部、外部に問わず、そこに歌評が集まっている様に感じられた。だが、私のこの歌集が良い理由は、妻、母、子、子育て、のどこに置いても、一人の人間として、「自分の邪な視点」を隠し切れない、そういった複雑な「揺れ」にある。多くの歌評に取りあげられている歌は、著者の得意とする短歌形態ー短歌を好きな人が好む歌ーにある。でも、本当は違う、と心底で私は驚き、少々の怒りをも覚えた。この歌集の醍醐味は、一首、二首目にある夫への愛情を晒し、三首目で鋭い感覚で一首を築き、四、五首目でふと「我」だけになる一時を素直に認め、六、七首めで本心をー人間のずるいところをー率直に差し出す。歌数とは関係ない、感情の多様性にある。どこかいつも「歌」のことを忘れられない「我」がいる。そして、それを著者は知っており、知っているだけに歌にすることへの「痛み」すら感じているだろう。「私は良い母親です」、「私は悪い母親です」、そう決められたらどんなにか楽か知れない。でも、著者は違う。揺れている、揺れ続けてゆく、海、または迷路か、と。

本日の一篇 ー 尾形亀之助

あるひは(つまづく石でもあれば私はそこでころびたい)

自序
 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。 それからその次へ。
 私がこゝに最近二ヶ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめたのは、作品として読んでもらママためにではない。 私の二人の子がもし君の父はと問はれて、それに答へなければならないことしか知らない場合、それは如何にも気の毒なことであるから、その時の参考に。 同じ意味で父と母へ。 もう一つに、色々と友情を示して呉れた友人へ、しやうのない奴だと思つてもらつてしママうために。

  尚、表紙の緑色のつや紙は間もなく変色しやぶけたりして、この面はゆい一冊の本を古ぼけたことにするでせう。

   

<メモ・感想>

 20年程前、通っていた予備校の小論文の講師が、冒頭の一行を挙げた。インターネットなど普及していない時代、さらさらと黒板に書かれた「尾形亀之助」という文字を消されないうちに、ノートの片隅に走り書きし、帰りに書店で注文した。一瞬でこの一行にときめいた、ときめきがあったのだ。そして、大学時代、大学院時代も、嫌なことがあるとこの一節を思い、また、それを知っている我を自己満足的に誇りに思っていた。しかし、「八雁」では、もちろん、その様なことは無く、我以外にも知っている方々が少なくないことは察知できた。インターネットの導入、携帯電話の普及、情報が勝手に出て来る画面。それに、溺れそうになる我自身。悲しく思える。一体、今の日本社会で、本屋で本を探し面白そうな未知の本を手に取り、吟味しお財布と相談して買っては、車内で本を開いたり、急いで帰宅したり、という行為を純粋に出来る人がどれほどいるのであろう。私は今日、久しぶりにこの本を開いた。この一行を読みたくなったからだ。けれども、期待していた慰めにはならず、逆に、お叱りをうけた感がする。「自分しか知らないもの」があることは大切なことなのだ。そこに至る道程を近道してはならない。そして、「誰も知らないもの」だからといって、疎かにしてはならない。「繋がり」や「絆」などという甘っちょろい言葉で孤独を癒すことを、意識的に積極的に排除し、「誰も知らない」、共有していない、共有する相手がいない、その様なものであっても、自分がそれを好きであるならば、自分がそれを必要としているならば、純粋に愉しめるような人間に変化して行きたい。古びたこの詩集は、「これくらいの苦労はしろ」と唱えている。そして、幸いなことに、読書は独りでするものであるが、必ず、そこには作者がいる。孤独ではあるが、書き手を思えば一人では無い。もう一度、戻りたい。

〈引用・参考文献〉    

 尾形亀之助尾形亀之助詩集ー障子のある家思潮社 (1975) p72-87

 尾形亀之助 障子のある家 (aozora.gr.jp)

  

本日の歌 ー 追悼 岡井隆

 岡井 隆(おかい たかし)1928年昭和3年)1月5日 生- 2020年令和2年)7月10日 没。

 世間がこれだけ騒いでいるのだから、私も学ぶに及ばずとも、触れてみたいとかねてより思っていた。その時期が来るのを待っていた。そして、今朝、新聞紙上に阿木津英氏が引いた歌に、きらめきを感じた。

 ホメロスを読まばや春の潮騒のとどろく窓ゆ光あつめて 『鵞卵亭』

意味は分からなかったが、この歌の「ゆ」の使い様に魅かれた。もしかしたら、私の思っていた岡井隆像というのは、全くの思い込みー前衛短歌に前のめりーであり、しっかりとした古語に精通したところから端を発した、深い人物像ー苦しみ方ーだったのではないか、と。又、記事の見出しにある「常若の歌人」という意味も気になった。

 説を替えまた説をかうたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく 『朝狩』

この引用歌から、「常に目新しい歌」ではなく「常に新しい試み」をし探究精神を貫いたことが窺えた。

その試みは、『現代短歌・83号』(p35)の加藤治郎氏と大辻隆弘氏の対談によると、

1 意味と調べの相克

2 古典的文体の再発見

3 ライトな文体の試作

4 ニューウェーブへの傾斜

5 口語文語混交文体の成熟

と分けられる。二人の論点に挙がった興味深い箇所を挙げる。

 岡井隆氏は、「短歌」の形式だけではなく「歌集」の形式にも考えを広げていた。例えば、p36にある加藤氏の「短歌の特質」についての発言に、「岡井隆は『多ジャンルにまたがりながら、短歌だけの持つてゐる特質をしつかりとつかんで立つといふこと』をどう考えたか」とある(注1)。そして、「短歌は、まず五七五七七の一行詩である。五七/五七/七の三行構成となり、また、五七五/七七の二行詩ともなる。いずれも対称性がない。短歌は『畸(き)の型』(注2)である」、「これは、正岡子規が「然るに短歌のみは一種異様の歴史を有し、調子のみ変りて詩形変らざるの変象を呈せり」(『短歌の調子』)と述べていることに通底する」とも述べている。

 塚本邦雄氏は近代短歌に対して、単純なアンチテーゼを提出したが、岡井隆氏の第二芸術論の克服の仕方はそれよりももう少し複雑なものである、と対談は続く。岡井氏は『岡井隆コレクション②短詩型文学論集成』の「自歌自注」でこう振り返っている、「旋頭歌は、五七七/五七七の二行詩として捉えることができる。左右対称性(シンメトリー)をなす、この釣合ひのよさが、この詩型の泣き所でもある」と。

 そして、『現代短歌入門』にて、自分の営為を「短歌の掴み直し」と呼んでいる。対談では、その意味を、近代短歌を克服したり、超克したりするのではなく、それを新たな基盤の上で掴み直し、もう一度しっかりした論理的基盤に据え直す、それが「掴み直し」であると語られている。

 ここまでで、私自身の理解は一杯である。最後に、付け加えたようではあるが、好きな一首を記す。

   ヴォツェックの記憶の上にかぶさる記憶。

椅子立ちて調停室に行くまでの数十秒の蹉跎たる意識 『ヴォツェック/海と陸』

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注1:前衛短歌には二つの側面がある。

 ①第二芸術論に呼応して、韻律の変革・暗喩の導入・〈私〉の拡大により短歌を革新したこと。

 ②最前線にいて、現代詩・俳句・散文といった他ジャンルと交戦することで短歌を更新すること。

注2:「畸(き)」・・・奇形。残り・余り。半端。

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〈引用・参考文献〉

  阿木津英『熊本日日新聞』(2020年8月8日) 

『現代短歌ー追悼 岡井隆』(2021)現代短歌社

本日の一篇 ー ウルベント・サバ 須賀敦子訳

   ミラノ

 石と霧のあいだで、ぼくは

 休日を愉しむ。大聖堂の

 広場に憩う。星の

 かわりに

 夜ごと、ことばに灯がともる。

 

 人生ほど、

 生きる疲れを癒してくれるものは、ない。

 

                                            ウルベント・サバ 

                                                      須賀敦子

 

      須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』 文藝春秋 (1995)

 

<メモ・感想>

 2018年、ある朝、起きようとしたら瞼が開かない。勘と手探りで廊下を伝い、母親を起こし、目がどうなっているのかを教えて欲しいと頼んだ。結果、眼瞼痙攣との診断名がついた。以来、今日の今日まで、一冊の文庫本も、読めない状態が続いた。日に日に落ちていく、読書量と集中力。それに伴って、焦りが走り、短歌に関する本以外、読んでいる暇は無いと、自身の勝手な思い込みに、追い詰められていた。そんな時に、歌会で御一緒しているA部さんが、本を貸して下さった。学生時代に一、二冊ほど読んだことのある、須賀敦子氏の著。文体が好きだったので、覚えていた。A部さんもこの本を好きだったのかと嬉しくなった。そして、今日、肌寒さ残る春の日、自然光の下に、三年ぶりの「読書」ー二十頁ーを成した。そして、どの様な本でも、その文学体験は、短歌にとってプラスになるのだと、当たり前のことを、腹の底から味わった。多謝。

       

本日の一篇 ー 太宰治

勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事ではなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

  太宰治『正義と微笑』 ・出典詳細は不明

<メモ・感想>

 2020年12月30日に元八雁短歌会のS氏より紹介された文章。