第六回 みづほのや 『つゆ艸』
みづほのや 『つゆ艸』(つゆくさ)より十一首
〈選歌十首〉
淋しくも暮るる空かな旅にしていかにといはん友あらなくに
太刀なでてよわき心になきもしつ故郷とほきともし火の前
この川のあらきにいます瀬の神のみ魂の牲と真玉ささぐる
君をしも伴ひたてて旅ゆかば野山の神やわれをねたまん
おちたぎつ滝のしぶきにとこぬれて立てらく松は命死なんかも
友の家のたか村しぬぎふる雪に灯影よろしき軒の丸窓
おぼろおぼろかすむばかりの燈火に見ればいよいよ光りある君
古寺のかべに染めたる紅筆のこひうたうすし春の雨ふる
青によし奈良の都は神さびて山もそそれり川もめぐれり
をしとおもふ花の色香をいつよりか春の女神はにくみ初めけん
ふる里の秋の花野のつゆの岡姉におぼろしその星の名よ
〈感想〉
みづほのや(太田水穂・本名:太田貞一)1876年(明治9年) - 1955年(昭和30年)
長野県塩尻市出身
歌人の島木赤彦と同級生
1900年(明治33) 「この花会」を窪田軽穂らと結成
1902年(明治35年) 歌集『つゆ艸』を発表。
1909年(明治42年) 四賀光子と結婚
1915年(大正4年) 歌誌「潮音」を創刊、以後、結社「潮音」の経営に専念。
1920年(大正9年) 「芭蕉研究会」を結成。後に、斎藤茂吉との間に「病雁論争」。
冒頭二首、『我』を使った歌が続き、読み手として負担を感じた。真面目で熱心だとは思えたが、個性が見えてこない。自分のことを歌っているようで、歌っていない。着眼点とねらいが明確過ぎて、読み手に透けて見えてしまっている。ただ、後に太田水穂として、「雲鳥」(1922)、「鷺・鵜」(1933)を発表しており、現代短歌全集に載っている。それは、おそらく、松尾芭蕉の影響を受けたあとの作品であり、「つゆ艸」と比較して読むのが楽しみである。続けていくことは、大事なことだと思った。しかし、正直な感想として、「どうして、心に響いてこないのだろう」と、未だ残念な気持ちでいる。