第十回 山川登美子・増田まさ子・與謝野晶子 『恋衣』
山川登美子 増田まさ子 與謝野晶子共著『恋衣』(明治38年刊行)より選歌
〈選歌〉
「白百合」山川登美子
詩人薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の君に捧げまつる
手もふれぬ琴柱ことぢたふれてうらめしき音たてわたる秋の夕かぜ
何といふところか知らず思ひ入れば君に逢ふ道うつくしきかな
この塚のぬしを語るな名を問ふなただすみれぐさひとむら植ゑませ
わすれじなわすれたまはじさはいへど常のさびしき道ゆかむ身か
にほひもれて人のもどきのわづらはし袖におほひていだく白百合
髪あげて挿ささむと云ひし白ばらものこらずちりぬ病める枕に
うけられぬ人の御文おふみをなげぬれば沈まず浮かず藻にからまりぬ
ひとりにはあまりさびしき秋の夜と筆がさそひしまぼろしよ君
地にあらず歌にただ見るまぼろしの美くしければ恋とこそ呼べ
「みをつくし」増田まさ子
はかり得ぬ親のこころをかへりみずゆるせと君にものいひてける
「曙染」與謝野晶子
選歌―① 良いと思った歌
春曙抄しゅんじよせうに伊勢をかさねてかさ足らぬ枕はやがてくづれけるかな
鎌倉や御仏みほとけなれど釈迦牟尼は美男びなんにおはす夏木立かな
今日けふのむかし前髪あげぬ十三を画にせし人に罪ありや無し
このあたり君が肩よりたけあまり草ばな白く飛ぶ秋の鳥
星よびて地にさすらはす洪量こうりやうの人と思ふに批ひもうちがたき
かしこうて蚊帳に書ふみよむおん方にいくつ摘むべき朝顔の花
酒つくる神と注ちうある三尺の鳥居のうへの紅梅の花
選歌―② 解釈はできないが良いと思った歌
海恋し潮しほの遠鳴りかぞへては少女となりし父母ちちははの家
紅べにさせる人にん衆じゆうおほき祭街まつりまちきや生ひぬり唄はむ男
棹さをとりの矢がすり見たる舟ゆゑに浪も立てかししら蓮の池
きりぎりす葛の葉つつく草どなり笛ふく家と琴ひく家と
蓮を斫り菱の実とりし盥たらひ舟ぶねその水いかに秋の長雨ながあめ
耳かして身ほろぶ歌と知りたまへ画ならばただに見てもあるべき
月あると同車いなみしとが負ひて歌おほくよむ夜のほととぎす
われを問ふやみづからおごる名を誇る二十四時ときを人をし恋ふる
〈感想〉
『恋衣』(こいごろも)は、下記の三人の共著である。
山川登美子 (明治12~42年)・・・・・131首(刊行時26歳)
/薄田泣菫(明治10年~昭和20年)『恋衣』刊行時28歳・ 明治39年市川修と結婚
増田雅子 (明治13年~昭和21年)・・・114首(刊行時25歳)
與謝野晶子 (明治11年~昭和17年)・・・148首/詩6篇(刊行時27歳)
何と言っても、與謝野晶子の下の句の付け方が上手いと思った。こんな角度から歌っていたのかと驚かされる。想像できないところから、下の句が差し込まれて来る。歌の景が一気に変わる。一方で、上手すぎる故に、威圧感がある。山川登美子のいじらしさも、歌としては良いと感じた。内容よりも、文語の調べの良さがそう感じさせるのかとも考えた。