Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第二十五回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(8)

第八回 研究発表(2017.7.19)
新興短歌の軌跡における佐美雄の位置

昭和10年頃までの文壇は、既成作家・プロレタリア作家・新興芸術派作家の三派が鼎立し抗争していた。そして、それに影響を受けた歌壇情勢は、三派鼎立という形をとっていくこととなる。

すなわち、既成歌人(『アララギ』主導・写実主義・文語定型)、プロレタリア歌人モダニズム歌人の三派である。

この三派鼎立は、大正15年の、『アララギ』総帥の島木赤彦の死、新興短歌をめざす人々の結集『新短歌協会』の結成、釈超空(「歌の円寂する時」)に代表される『滅亡論論議』の三点をきっかけとしている。従来の短歌の価値が揺らぎ、新しい模索が歌壇内で無視できない状態になった表れが、この三派鼎立である。

 既成歌人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伝統派(文語定型)

プロレタリア歌人・・・・・・・・・・・・・・・革新派(定型離脱中心のち、短歌運動終焉)

モダニズム歌人・・・・・・・・・・・・・・・・革新派

この三派を分ける基準は、

 定型派か自由律派か

 文語派か口語派か

であり、革新派は、この二つの基準の中で多様な自己表現を模索していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下、この時代の前川佐美雄に焦点をあてる。
初出(昭和3年)と歌集収録歌(昭和5年)の比較から、
 

横はらをぐさりと刺さしてやるなんてとんでもないこと。だが我にある

                    (「心の花」昭和3年5月号)
横腹をぐさりと刺してやつたらなああいつはどんな顔をするならむ

                    (『植物祭』昭和5年

昭和5年『植物祭』発刊当時の、佐美雄の文語志向がうかがえる。

 

また敵だ追おつ拂ぱらへ追おつ拂ぱらへといつしんに気違きちがひのやうになつて今日も生きてる                 (「心の花」昭和3年4月号)

また敵だまうたまらぬといつしんにきちがひのやうに追つぱらひゐる  

                       (『植物祭』昭和5年

昭和5年『植物祭』発刊当時の、佐美雄の定型志向への転換がうかがえる。

この時点で、佐美雄は、文語定型志向に向かっていたと考えられる。
では、この間(昭和3年昭和5年)、までに、佐美雄に何が起こったのか。

昭和2年 前川佐美雄と土屋文明の「模倣論争」・・・昭和最初の模倣論争 

昭和3年 新興歌人連盟の結成。佐美雄も準備委員として参加。10月に第一回大会。11月に機関誌「短歌革命」の創刊時期をめぐり分裂。12月に解散。
*分裂理由:作品が未熟だから創刊延期を主張する(前川佐美雄等)と早期刊行の主張(渡辺順三等)
による対立。

昭和4年 分裂により、脱退派の渡辺順三や坪野哲久は昭和3年11月に「無産者歌人連盟」をつくり、機関誌『短歌戦線』を創刊。それに対して石榑茂や前川佐美雄等の残留派は、3月に『尖端』を創刊する。
しかし、この歌誌は石榑の歌壇引退などの理由により、7月に終刊した。一方で、無産者歌人連盟はメーデー記念の短歌集を出す計画を立て、5月に『プロレタリア短歌集』を刊行。前川佐美雄も参加。他の連盟外からの参加者は、五島美代子(「尖端」)らであった。7月に「プロレタリア短歌同盟」が結成される。9月に機関誌『短歌前衛』を創刊。佐美雄も参加していたが、12月に脱退する。

*脱退により、佐美雄のプロレタリア志向は終わり、モダニズム短歌に全力をあげる。

昭和5年 7月に『植物祭』刊行。「心の花」にて11月に特集される。

       *(下記、三枝昂之の見解では)

大正15年11月号「心の花」掲載歌から、モダニズム作品であり、芸術派である。

昭和2年11月からプロレタリア短歌が混入。
昭和4年末にプロレタリア短歌への関心が終わる。

佐美雄の動きとしては、「古典派の悪趣味」からモダニズムに脱皮し、時の流行だったプロレタリア短歌にも手を伸ばしたに過ぎず、結論として、当初からのモダニズム志向は一貫して、佐美雄にあった。
と結論している。

<まとめ>  
下記の軌跡を経て、佐美雄の位置は、〈口語志向の文語定型派〉という奇妙な場所についた。この位置取りは、当時、少数派であった。
佐美雄の軌跡: 心の花→新興歌人連盟(昭3)→尖端(昭4)→プロレタリア歌人同盟(昭4)→心の花(昭和4年12月) 


【メモ・考察】
 ・昭和初期の短歌革新は、短歌の芸術性と社会性をどのように調和させるか、という「政治と文学」の問題への取り組み方をめぐって起こったといえる。

 

【参考・引用文献】 
『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)
『歌の鬼・前川佐美雄』小高根二郎 沖積舎(1987)

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お詫びとご案内です。
関口 | 2017年07月29日

レプリカの鯨様 皆様

済みません。
この「なに」を表現しているかについてをめぐり、ただいま、『日本近代短歌史の構築』 太田登 八木書店(2006)をまとめている最中です。更新が8月になります。

遅々としたペースで申し訳ないですが、ご容赦頂きたくお願い申し上げます。

 

返信
御礼です。
関口 | 2017年07月21日
レプリカの鯨様

ご指導並びにご助言を頂き、本当に、有り難うございます。
「なるほど!」と思いました。

「なに」をについては、一週間(28日まで)の間に、調べてまとめてみます。

前川佐美雄の略歴・後編は、この時期への理解がなくては、見当違いの方向に進んでしまいそうなので、ここは丁寧に追究したく思っております。

いつも、本当に有り難うございます。

 

返信
なにをどう
レプリカの鯨 | 2017年07月21日
なかなか面白い整理だと思いました。文芸には①どのように書くか(詠うか)②なにを書くか(詠うか)という基本的な構造があります。短歌であれば①では、関口さんの今回の整理でしょう。文語‐口語、現代仮名遣い‐歴史的仮名遣い、定型墨守‐自由律、他の区分もあるでしょう。その点では、わかりやすい説明でした。一方、なにを、というのがあります。テーマの設定ですね。プロレタリア短歌は、社会派だし、ナップやコップは共産党の下に、革命に奉仕する作品をつくることを目的としていました。モダニズムはなにを歌おうとしたのか、アララギ系の人たちは、さて。ようは、文芸は、「なに」を「どう」あるいは「どう」「なに」を、表現するということです。どう、ということには踏みこんでいますが、なにを、がまだこの論考ではかけています。