第二十七回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(10)
第十回 個人研究発表ー『天平雲』選歌
前川佐美雄 第4歌集『天平雲』(1942年・全710首)より
〈選歌22首〉
草ふかき野の眞晝間に組み伏する逞(たくま)しき夢も過ぎてかへらず
炎天におのれ鋭(するど)き眼(め)をあきて身がまふるがに生きぬくとする
夕虹は明るかりけり抱きあげてわが子に見しむ初めて見しむ
今日もまた日暮を近み暴(あ)れ出づる凄(すさま)じきおのが氣配(けはい)ぞすなれ
畜生の叫びごゑあげて狂ひたりおどろしきわが昨日(きのふ)なりける
生きの身のきたなさ何もなくなりてからからとただたのしきばかり
われとわが肉(しし)うちたたきはげますもひびきぞかへる室(へや)のうちのみ
曇天(どんてん)をしきりかなしむ心よりどぶねずみどもをひたに憎める
眞夜中にひとり目覚めておもふらく滑(なめ)らなる石のうへ行く水ぞ
足おとはわれより先(さき)にひびかふとあはれにひとり立ちどまれるも
暗(くら)がりのなか掻きさぐる心よりまがなしみ春芽(しゅんめ)ひとつ伸びさす
今日の日に命(いのち)はふかく住まへりとかへりぞみすれ怯惰(きょだ)にあらぬや
みづからを責めさいなみて花たかくうちひらき咲くときに遊ばず
今日からはもう一つずんと底深く靑(あを)澄(す)めるべにわが眼(め)を磨(と)がむ
雨晴れてひとしほ色濃き紫陽花のかたぶけるさまは夜(よる)も思はむ
過ぎたるは後(うしろ)に音も立てざれば身じろぎせずと冬をなげかふ
月の夜に見れば黄菊も白菊もただ咲きみだれしづまるばかり
朝(あした)より胸のおもみを感じゐれば靄くらきなかの高き冬木木
今の世にわれはおもほゆ勇猛も大畏怖心(だいゐふしん)もなきひとよ死ね
二十年(はたとせ)のながきにわたり歌ひ来て夢なほ消えず晝顔のはな
悲しみて旅ゆく汽車の窓に見しひとつの夢や晝顔の花
碧落を鳴りひびかせむ時いつぞわれの齢(よはひ)はすでにかたむく