第三十回 個人研究(3)
第二回 研究発表 2016.11.20
「大正二年 九月より」
ふり灑そそぐあまつひかりに目の見えぬ黒き蛼いとどを追ひつめにけり (1.黒き蛼)いと
直訳:一面にふりそそぐ日のひかりの中で目の見えない黒い蛼(オカマコオロギ)を追い詰めたものだ。
解釈:オカマコオロギとは鳴かないコオロギをさす。ふりそそぐ天の光と目の見えない「黒き蛼」とははっきりとした対比である。『あらたま』冒頭の一連に詠まれる、この美しくはなく、秀でた能力(の描写)もない虫に、強く象徴されるものを感じる。「にけり」からぼんやりとした過去の回想と読んでいたが、塚本邦夫は、茂吉がこの歌の景を「写生的に目撃した記憶があり、今幻想的にそれを心の中の袋小路に逐ひ詰めたのだ。(中略)普通ならば、たとへば白秋の「小さき青き蜥蜴を泣かしむといばら小徑に追ひつめにけり」(續哀傷編)のやうに、場所が入つて然るべきだ。」と明確に訳している。
どんよりと歩みきたりし後しりへより鐵くろがねのにほひ流れ來きにけり
(2.折にふれ)
直訳:どんよりとした暗い気持ちで歩んできたその後ろから鉄のにおいが流れてきたのだ。
解釈:
いきどほろしきこの身もつひに黙もだしつゝ入日いりひのなかに無花果いちじゆくを食はむ (2.折にふれ)
直訳:腹立たしいこの身体もついに黙ったまま日の入る中で無花果を食んでいる。
解釈:
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塚本のは訳ではなく、解釈
レプリカの鯨 | 2017年01月23日
で、茂吉の歌を石川さんが支持しているのかどうかが曖昧
返信
自分の解釈
あきつ | 2016年11月19日
塚本邦雄の解説に納得して終わってもしようがないのではないでしょうか。ここにあげるからには、自分が好きだなあと思うからでしょう。それなら、どこがどのように好きか、ひかれるのか、どの言葉でそんな情感が現れ出ているのか、など、裸で歌にぶつかっていかなければ、「お勉強」ばかりしてても何も楽しくないでしょう。「この歌、おもしろいなー」と思う。それがすべての原点です。