Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第三十一回 個人研究(4)

第三回 研究発表  2016.12.24

「大正二年 九月より」
よひあさく土よりのぼる土の香を嗅ぎつつ心いきどおほり居り (2.折にふれ)

直訳:日が暮れてまだ間もない頃、地から湧く土の香りを嗅ぎながら、なお腹立たしい気持ちでいる。

解釈:言葉の意味は取れるが、その心の動きは表現し難い。「土の香」から生き生きとした心地よい香りと取ったが、それに反して下句では「心いきどおり居り」となっている。いつもは心地よいはずの土の香を感じても、なお怒りが収まらないような心境だろうか。

 

あしびきの山より下る水たぎち二たびここに相見つるかも (3.野中)

直訳:(足を引くように歩く)険しい山で水が激しく沸きかえっているところにまた再び出合うことだ。(たぎつような感情がまたもどってきてしまった。)

解釈:技巧的な歌だがどこか振り払い難い思いのようなものを感じた。定型におさまった調べが、どうにもならない思いをあえて噛みしめるような、念を押すような印象を受けた。この「あしびき」の枕詞がよくあっているができすぎのようにも思う。歌集の中のここまでの歌群から一つの「いきどほり」として見てしまうが、それとは切り離して静かに味わいたい。

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「かも」についてです。(2)
関口 | 2016年12月29日
私は、「かも」は、疑問(やや反語に近い)に取りました。

山より下ってくる水が激しい勢いで流れている、その流れが、再び、ここで(我?と)対面することはあるだろうか(いや、ないだろう)。

滾る水に自分の怒りを重ねていると、思いました。怒りが静まりかけている情景ではないでしょうか。

 

返信
「かも」についてです。
関口 | 2016年12月29日
二首目の結句、文末に用いられる「かも」は、疑問か詠嘆の意味に取れるそうです。どちらでとった方が、石川さんの解釈に近くなりますか。