第三十六回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(12)
第十二回 個人研究発表ー『金剛』選歌
前川佐美雄 第7歌集『金剛』(1945年・全653首)より18首
われは明治の少年ぞかし菊の香(か)にむかしを思ふこころ切なき
荒壁(あらかべ)の家(いへ)に住まへど御三代にあへらく今日は生ける甲斐(かひ)あり
たかひかる天皇陛下(すめらみこと)や召されたる海の綺羅星陸(くが)の綺羅星
國つ母が田植のさまを見そなはすおん寫眞(うつしゑ)をすがしみまつる
今日までに學びたりにしその效(かひ)を戰(いくさ)のにはに死なず生かせよ
あらたまの年(とし)立(た)ちかへる一億のこころを捻(よ)りてアメリカを捲(ま)け
金剛山(こんごせ)のねろしいかしき冬の日はわがおこなひも懶惰(らんだ)あらすな
隣人(りんじん)りんじんとなみだながして靖國の遺児(ゐじ)おくりける昨晩(よべ)の月夜(つくよ)を
いづかたに向きて泣かむや言はむすべ爲(せ)むすべ知らに心そぎたつ
北にむきはろかにわれ等(ら)額(ぬか)ふすもさし合はす掌’(て)に穢(けが)れぞあるな
晴れ澄みて金剛(こんがう)の山大いなりなにをこちたき文藝の徒(と)ぞ
たたかひを勝たせたまへと山頂(いただき)の午前五時ごろを杉の木下(こした)に
今の世に慷慨(かうがい)の歌の一つだに詠まずしあればうつけものたれ
みやこべに行きて何(なに)すやわれはいま古寺(ふるてら)のうらの壁のごときそ
今の世の歌びとの心ひくくしてまことなる歌のありかを知らず
たたかひに心凝(こ)らすも朝夕(あさゆふ)にわれは何かに迫められてあり
わがよはひはや傾くや青空のましたに立てばかへりみせらる
悲しかるいのちなれども蟲けらの位(くらゐ)さがれる歌はつくるな
【参考・引用文献】
『前川佐美雄全集』第一巻 小澤書店(1996)