第三十七回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(13)
第十三回 個人研究発表ー『紅梅』選歌
前川佐美雄 第8歌集『紅梅』(1946年・全245首)より14首
あらたまり行くもの何ぞ美しき春の現象世界のみかは
インテリと罵(ののし)られ無産者運動に加はらむとしき二十年前(にじふねんまへ)は
鴎州に行かむ願望(ねがひ)もむなしくて貧(ひん)に過ぎ來しあはれ二十年(はたとせ)
どろどろの生命(いのち)もて何をねがひしか悲しけれわれが昭和のはじめ
けだものの聲を擧(あ)げたくなることも幾度(いくたび)かありき苦しと言はず
戦(たたかひ)たたかひのさかんなるときの勢(いきほひ)に乗りをりし友がわれを見捨(みす)てつ
過ぎし日のくやしさはつひに忘れねば一粒(ひとつぶ)をだに淚つつしめ
わが室(へや)に誰(たれ)も入らせず夜(よ)を徹(とほ)すひとりあそびの時過(す)ぎにけり
おのれをば何に副(たぐ)へて生きゆかむ荒き聲々(こゑごゑ)は朝夕(あさよ)聞けども
人間のこひねがひ何ぞおしなべて禽獣(とりけもの)にもおとらむとする
もの言はむ河原(かはら)の石を見てをりぬ物言はぬ石はもの食はざらむ
夏の間(ま)に飽(あ)くなく食(く)らひ食(く)ひ足らひ冬ごもる類(るゐ)にあらざりしかば
明(あ)けがたに炬燵の燠(おき)が消えたればあな寒(さむ)と起(お)きて庭におりたつ
むくつけき心あるなと歎けども不幸は過去(くわこ)に連(つら)なりゐたり
【参考・引用文献】 『前川佐美雄全集』第一巻 小澤書店(1996)