第三十八回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(14)
第十四回 個人研究発表ー『積日』選歌
前川佐美雄 第9歌集『積日』(1947年・全500首)より20首
いきどほる心もあらず無賴(ぶらい)なる人間の徒(と)となりて落ち行く
落ちのびて行くにちがひはなけれどもしか言はざりき心素直に
みつまたの花さびざびとうす黄色く咲く畑(はた)にむき寒く咳(せ)き入る
草ごもるあかき躑躅の株咲(かぶざ)きをかなしとおもへ妻にかたらず
逝く春のあらし吹き立つ土ぼこりいかなる方向(むき)にありやわが身は
嵐すぎて今朝ゆく道の砂かたし砂きよしひとつこころにひびく
ゆく道の小砂のうへに透きとほり赤とんぼはやよわよわしけれ
たたかひにやぶれし年の秋ふけて因幡の國をゆき行くわれよ
湖(うみ)の上に舟を浮かべて若き日をあそべるごとく今日をありけり
刈小田(かりをだ)に月照れる夜をさむがりてわれは寝んとす他人(ひと)の二階に
忘れむとつとむれどつひにわすれえず破られたりしわれのこころは
二十年(はたとせ)を過ぎつつなほし彼をにくむおそらくつひに憎みとほさむ
ひさしくも忘れをりたる動物園に今日來て立てり孔雀のまへに
ゆふべよりふりはじめたる春の雨の夜(よる)ゆたに降りてこだはりなしも
たのしみて冬夜(ふゆよ)をいねずふかしけむわが身おもへばとき移りけり
くつがへる世をおもしろとたのしまむ心はたしてありやあらずや
かくれ棲むむかしにいまはあらざればかつかつ食(た)うべ室(へや)ごもりをり
庭隅にみづ充(み)てし甕(かめ)をすゑたればいかなる鳥かこの冬を來(こ)む
いまはとていかりはかなみ屑ぼこりこの人間をはたき出(で)んとす
大阪よりかれは京都にわれは奈良この三角(さんかく)のひらきをいかに
【参考・引用文献】 『前川佐美雄全集』第一巻 小澤書店(1996)