第四十回 『覚めたる歌』金子薫園
『覚めたる歌』金子薫園(明治43年)
<選歌十三首>(全357首より)
新しきわれを見いでしとある日に覚めたる歌をうたひつづくる
しづやかに梢わたれる風の音をききつつ冷えし乳を啜(すす)りぬ
無花果の青き果(み)かめばなぐさまる、ものうきことの夕まぐれなど
春の夜の二階の隅に明(あか)り取り、うすくあかみて月出でにけり
くちはなの水を切(き)りゆくすばやさをちらと見しより心やぶれぬ
こころ今しづけし見れば青草はややに黄を帯び秋となりけり
酒はよし、酔(よ)へばちひさきものすてて広き世界にわれをおきける
とはいへどただにわれなく酔(よ)ひもえず、生くてふ大事(だいじ)背後(うしろ)にあれば
いかにして生(い)くべきかてふ問題を考ふるべく大人(おとな)になりぬ
君飢ゑむ、かくおもふ時ひしとわがけだるき心とりなほすかな
生(い)くといふこの一語(ご)には千百の歎きかなしみこもりてぞある
ある時はあさましきこともおもひみぬ、老いたる人の安らけき胸
冬の日のをぐらき夕(くれ)の室内の死せるが如きものの色かな
『覚めたる歌』について
作者34歳の第5歌集。冒頭に「この書を友人佐藤橘香(きっこう)に呈す」とある。佐藤橘香については、詳しくは明治34年の文壇照魔鏡事件を追って頂ければと思うが、要するに、「反鉄幹精神」であることを冒頭に述べている。
【参考・引用文献】 『現代短歌全集』第二巻 筑摩書房(1980)