第五十七回 『蹈絵』白蓮
第五十七回 『蹈絵』白蓮(大正四年)
<選歌8首>(全319首より)
われといふ小さきものを天地の中に生みける不可思議おもふ
蹈絵もてためさるる日の来しごとも歌反故いだき立てる火の前
吾は知る強き百千の恋ゆゑに百千の敵は嬉しきものと
天地の一大事となりわが胸の秘密の扉誰か開かね
我が魂は吾に背きて面見せず昨日も今日も寂しき日かな
わが足は大地につきてはなれ得ぬその身もてなほあくがるる空
ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらでいけ生けるかこの身死せるかこの身
いくたりの浮れ男の胆を取る魔女ともならむ美しさあれ
眠りさめて今日もはかなく生きむため偽りをいひ偽りをきく
さめざめと泣きてありにし部屋を出て事なきさまに紅茶をすする
〈メモ・感想〉
第一歌集(作者30歳時)。伊藤白蓮(柳原白蓮)。本名・燁子(アキコ)。華族出身。1894年(明治27年)、9歳で遠縁にあたる子爵・北小路隨光(きたこうじ よりみつ)の養女となり和歌の手ほどきを隨光よりうける。明治33年に佐佐木信綱の門に入る。大正10年に宮崎龍介との恋愛事件の為、嫁いでいた伊藤家を去り、同12年に龍介と三度目の結婚。昭和10年、短歌雑誌「ことたま」を創刊して主宰した。昭和19年、早稲田大学政経学部在学中の長男・香織が学徒出陣し、翌年の昭和20年8月11日、所属していた陸軍・鹿児島県串木野市の基地が爆撃を受けて戦死(享年23)。昭和44年に逝去(81歳)。
正直なところ、見て見ぬふりをしようとして、ここ三日間程、白蓮の歌について気を揉んでいた。第一印象は、自分の発想に似ており、親近感はあるのだが、それがなぜか心地よくない。白蓮は壮絶な生い立ちの中で歌によって救われたことは確かである。だからであろうか、大きな景を詠っているようでそれは個人の悲哀に回収されている。私自身が短歌を学び始めた頃、目指していた方向によく似ているのだ。気持ちが分かるだけに歯痒い。その近過ぎる距離感に、私は戸惑ったのだ。
【参考・引用文献】 『現代短歌全集』第三巻 筑摩書房(1980)