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第六十八回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(25)ー『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)に学ぶ⑪

第六十八回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(25)ー『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)に学ぶ⑪

 

『白鳳』の世界—シュールレアリスムの内面化 p126

  『白鳳』は佐美雄の本としては目立たない歌集である。内容的に地味だということではない。出版経緯がこの歌集を目立たないものにしたということである。

 ・昭和5年7月 『植物祭』・・・(2)

 ・昭和15年8月  『大和』・・・・(4)

 ・昭和16年7月  『白鳳』・・・・(3)

 ・昭和17年3月  『天平雲』・・・(5)

 ・昭和18年1月  『春の日』・・・(1)

 上記が、佐美雄の歌集を刊行順にしたものであり、()括弧内が収録作品の制作年順を示したものである。処女歌集を『植物祭』にしたのは正解であっただろう。第二歌集は質的なレベルにしても『白鳳』でもおかしくはない、けれども、佐美雄は『白鳳』を飛び越して『大和』を先に世に出した。処女歌集から十年後に出す第二歌集として、より新鮮で最近作でと考えたのだろう。『大和』の後記で「第二歌集『白鳳』につぐ第三歌集に相当する」と断りが入っているものの、読者の方は、『植物祭』→『大和』という変化の中で受けとるわけで、これは大変に刺激的な変化であり、劇的な変化を考えると、『大和』を第二歌集として選んだのは正解というべきだろう。

 しかし、『植物祭』の次の展開を担っていたはずの『白鳳』は、作者の判断として後回しにされた認識を読者が持ち、それが『白鳳』を脇役的な印象と結びつかせた。けれども、『白鳳』は脇役的な歌集ではない。『植物祭』のような極めて特殊な魅力、一回生な世界、から、佐美雄がどのように次の一歩を踏み出したのか、その独自の魅力と意味を持つ歌集である。 

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次回は、『植物祭』から『白鳳』へ、歌がどのように変化したのかを述べます。

*参考までに個人研究の振り返りとして、過去の投稿記事を下記に再掲載します。 

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2017-12-31
第二十一回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(4)
第四回 (1)歌集『白鳳』より選歌と感想 (2017.1.22)
前川佐美雄 第3歌集『白鳳(はくほう)』(1941・全410首)より28首
*第3歌集『白鳳』は、第2歌集『大和』(1940)以前に作歌された歌をおさめている。
〈選歌二十八首〉
  いきものの人ひとりゐぬ野の上の空の青さよとことはにあれ
  百年の夢をむさぼる野良の身はつひに植物のましろさとなれ
  野のはての樹きに縛しばられた千年せんねんのうらみはいまにきつと報いる
  今はもう陽ひに蹠あしのうらをむけながら生きてはをれどかなしくもなし
  あの雲に二度包つつまれぬ我なるをおもへばかなし日の下もとにゐる
  夜の更けは枕辺にある花のなかにまだ死なぬ我の魂たまやすみゐる
  いつか知ら落おとした時計が見つかって今年は春が速はやまはりする
  アパートの中庭に五月の花が咲きもはやもの憂うい晝ばかりつづく
  このやうにまつ暗な街を歩きつついかにきびしく眼をひらきゐる
  氣ちがひになつて見たいと思ふ日の空の青さよくらくらとなる
  まつ靑な空のある下に生い立つて世にもやさしき遊びをぞする
  うなだれた花花のそばを歸るとき三千世界にただわれひとり
  海のなかへ命いのち投げたがどうしても頭が浮くのでわらひはじめた
  夜になるとかうしてしづかに眠るなり我に嬬つまといふものもなく
  山といふ字を書けば山が見えて來る故郷の山の白いかなしさ
  あかときの空にまつ白に舞ふ鳩のほがらかさには負けてしまつた
  ピストルは玩具といふこと知りながらどんどん菖蒲あやめの咲く池に撃うつ
  よろめいて歩きゐるとも朝なればのびるわが影はうたがひもせぬ
  犬つれて林のなかを歩きゐるかかる氣晴らしがいま何ならむ
  如何ばかり美しかるもたのしまず野山に淚ながしてかへる
  かなしうも何もないのに泣けて來くる籠こもりてをれど今日晴なれば
  北面の壁にむかひて寝起すればすでに不幸はさだめに似たり
  すさまじく音をたてて星のながれたるその夜は蝮まむしも地つちにこもりぬ
  億萬の夢ありやなしや地のうへにたつた獨ひとりぞといつか思へる
  まつぷたつに割れてゆく時間の底にありてあの顏が今はげに遥かなり
  夕ぐれはもう河のやうに騒がしくわが家やのうちを流れはじめる
  どことなく網や針金が光なりひと一人をらぬ午後の草はら
  くづれ落ちた土塀のうへの野鴉は遠方の夕日見てる氣がせぬ
  日が暮れてまたかへり來ぬ生きがたく庭石の下したに泣き叫びつつ
  
〈感想〉
 1935年(昭和5年春)~1935年(昭和10年)に作歌された歌を納めている。
 13首目、「海のなかへ命いのち投げたがどうしても頭が浮くのでわらひはじめた」この一首が、もし仮に、2017年現在の若者が詠んだ歌だと紹介されたらどうだろうか。
 どうして、前川佐美雄は、ここまで想像できるのか。その想像が尊重されるのか。あるいは、実際のことであっても、どうして、歌の中で、佐美雄は「跳ぶ」ことが出来るのか。
 その一つに、前川佐美雄の特異な孤独さ、が挙げられる。相聞歌が少ない。誰かを余り求めていない。そもそも、一人きりの世界の中に、草花や社会や、ピストルや犬猫があり、世界の中に居る自分の社会的立場をほぼ顧みていない。つまり、「妄想」として佐美雄は、これらの歌を、ある程度体感して歌っていたのではないだろうか。
 そこには、空想や虚構、造語を駆使した様な「(自分のことを分かって欲しいための)虚勢」はない。
どうにか自分の思い、自分の感じる世界を、他人とは異質な感覚を通しながらも、五七五七七を用いて、真っ直ぐに伝えたい、その様な、魂の叫びを感じる。定型は発想の自由すぎる佐美雄の歯止めとなっていると、筆者は考えた。
 そこには、どこかからの借り物の言葉を足したり引いたりする作業でもなければ、表現の自由なのだから分かってくれなくてもいいですといった開き直りもなく、歌を手土産に誰かと繋がろうという欲もない。
 本当に何かを伝えたい、「跳ぶ」ことの出来る、表現者としての孤独が感じられる。
キーワード:リアリティ                   (文責 関口)
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『前川佐美雄』三枝昂之 五柳書院(1993)