本日の一首
不機嫌なあなたが好きと黒板に書きし十五の春のゆふぐれ
ためらひてとぶ鳥ありや南風に擁(いだ)かれてわがおくつきは建つ
軍神になれざりしかな回天の錆びゆく春の夜も更けにけり
教卓にクリームパンの置かれゐてああなんとなく旅に出やうか
だから心配しないでとふり向けばバージン・ルージュが僕を見つめる
君が語る留守番電話を聴きながら五月に咲いた花を見てゐる
喜多昭夫『青夕焼』 砂子屋書房(1989)
同じ集合体(結社)にいらっしゃる喜多昭夫様の第一歌集である。喜多様の歌は誤解を招きやすい。取り分け、女性や性に関する歌は認否がわれる。それでは、若かりし頃はどの様な作歌をなさっていたのか。そこに、私なりの喜多様の歌の落としどころが見つかるのでは、と思い手に取った。「良い歌があるではないか!」と予想外の連発に、「それでは、いつから、誤解を招く様になったのか」と遡っているうちに、春日井健氏の「あとがき」にこう記されていた。
「喜多は、これまで想像の世界で、自然に明るく、軽やかに羽撃いてきた。いたずら好きの天使のようなその唇の紡ぎだす歌を私は好んだが、今、彼は青夕焼に染まって羽を休めている。いっぱい作り話を楽しんできた喜多に、今後は見てしまったあとの歌を聞きたいものである。」
この出発点である第一歌集は、喜多様の歌に潜在的に在る大事な何かを、私に感じ入らせた。