Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 奥田亡羊 『亡羊 boyo』

この国の平和におれは旗ふって横断歩道を渡っていたが

一行を拾いに落ちてゆく闇の深さばかりが俺であるのか 

スプーンを覗き込んでは春の日をぼくは逆さに老いてゆくのか 

やさしかりし人のこころを計りつつ段(きだ)くだり来て地下鉄を待つ

われを待つ妻のひとりの食卓にしぼんでいった花の数々 

食卓の花には影のないように用心深くわれら暮らしき

 奥田亡羊『亡羊 boyo』短歌研究社(2007)

 歩み寄れないない、現代短歌・口語短歌への不可解さに、いつもの如くぶうぶう言っていたら、八雁会員のA部さんが、この歌集をさらりと黙してお貸しくださった。開いてびっくり、作者の力量、短歌の力、がありありと満ちあふれた一首一首。さらに、これらの歌は、作者が32歳から39歳までに作歌した歌であると、あとがきに記されていた。今、若手歌人は五七五七七の定型を壊すことがせめてもの「反抗」だという気風があるそうだ。でも、何時の時代にも、若者は変わらず、「大人ってバカだよね」「(大切なものを忘れてゆく)大人になんかなりたくないよね」なんて思うものである。私は遅ればせながら、今、大人になりたいと思っている。大人になって五七五七七の「悲しみの器」を尊び、破壊するのではなく、破壊したい気持ち、を言葉を駆使して、その皿に盛りたい。破調と破壊は、似て非なるものである。破壊したら気持ちを盛る皿は当然割れ気持ちの表現は無し得ない。皿は大事にしなければならない。私は表現したいのだから。