Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

強制力としての破調(大森静佳)

ずっと味方でいてよ菜の花咲くなかを味方は愛の言葉ではない

                             大森静佳

 

初句、「ずっと味方でいてよ」はかぎかっこで括ることのできる呼び掛けの言葉である。相手が裏切ることを半ば想定していて、先回りして釘を刺したり言質を取ったりするような感じがあるのでとても怖く、呪詛のように感じられる。この怖さは、初句が定型を大きく外れた10音から成ることにも因っている。この歌を読もうとすると、ひといきに読ませることを強制されるのである。読み切って次に進もうとすると、今度は「菜の花咲くなかを」と9音からなる破調が続き、一息つくことができずちょっと苦しくなる(実際に声に出してみても、溺れかけたようになってしまう。もしくは切迫した感じ、とも言えるだろうか)。「逃さない」「許さない」というメッセージ的な凄みが、定型に収まることを許さない破調の強制力によって増幅して感じられる。

では、「味方でい」るとは具体的にどういうことなのか。明示されないが、少なくとも「愛の言葉ではない」のは確かだ。君が好きだよ、愛してるよ、なんて甘い、ありふれた言葉では騙されない、そんなものではなくて、「味方」でいてほしいのだというメッセージだと受けとめた。菜の花畑のただなかにいるような、明るく幸せな場面を提示しながらも、どこか翳りのようなものを感じる一首。私は結婚を約束した相手への呼びかけかではないだろうかと想像した。幸せにあふれた、輝かしい未来につながるはずの今、ここに立っている。それなのに、それが永続しないこと、崩れることをどこか予感している。一過性の愛の言葉ではなく、何があっても絶対的な味方でいてほしい、それこそが、相手に求めることなのではないだろうか。