第七十七回 『無花果』若山喜志子
第七十七回 『無花果』若山喜志子(大正四年)
<選歌七首>(全四六八首より)
あなやこはゆく手もはても薄氷(うすらひ)のわが世なりけり何ふむべしや
この家のぬちわれがうごくも背(つま)がうごくも何かさやさやうたへる如し
まづしくあらば刺して死なんと思ひしをこのまづしさに克ちてゆく身は
今ぞかもわが世はるけし身のまはり澄みてさ青に水の如けれ
はつとして身うちのうごきこそばゆささて何とせん椿咲けるを
君がまどはいつも開きあり暗くして春の黄ばみになほ暗くして
もの洗ふと背戸にいづればたもはゆの君がまどべに君はゐるかな
〈メモ・感想〉
若山喜志子は、若山牧水の妻である。病床に伏した喜志子の代わりか、「巻尾に」と、牧水はこう記している。「夫婦で居ながら、そして相当の同感尊敬をも持ちながら、私は彼女の歌に就いて會てかれこれ云った事がない。(略)よしあしにつけ彼女の歌と私の歌とは餘に性質が違って居る。」「自身でも云ってゐるが、彼女は會て歌といふものを学んだことがない。古人の作を読まず、今人の作すら殆ど知つてゐないだらう(略)自然、幼稚であり、かた言にも流れる。斯ういふ人の癖として頑固も強い。」「両人はめいめいの路を歩んで来たのであるが、(略)矢張りこの方がよかった、彼女のためにも私のためにも確にこの方がよかったと。(大正四年十二月七日、三浦半島にて 若山牧水)。」私は夫婦というものを知らないが、牧水の歌に、止めようもなく、喜志子の存在があったことだけは、覚えておきたい。
【参考・引用文献】 『現代短歌全集』第三巻 筑摩書房(1980)