Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

梅を詠んだ歌

梅が咲き満ちている。昼は白や紅に樹全体がけぶり、鳥が鳴き集う。夜は濃く甘い香りが漂い、心惹かれる。詠いたいのに、どこから詠っていいかわからない。梅という題材は、どのように詠まれてきたのだろう。

 

我がやどの梅の下枝に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ (高氏海人・万葉集五)

色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも (よみ人しらず・古今集

わが宿の梅のさかりにくる人はおどろくばかり袖ぞにほへる (藤原公任・後拾遺集

春の夜は軒端の梅をもる月の光も薫る心地こそすれ (藤原俊成千載和歌集

大空は梅のにほひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月 (藤原定家新古今集

とめ来(こ)かし梅さかりなるわが宿をうときも人はをりにこそよれ (西行・同上)

 

どの歌も好きだ。

俊成の「春の夜は…」は、夜の梅(白梅を想像した)を洩れてくる月の光という光景がありありと浮かんで美しい。そればかりでなく、その月光までも薫ってくるようだと詠んだのはなんと素敵なのだろう。夜の梅のあの、花は見えないのに香ってくる清らかで華やいだ感じ。こんな風に詠うのかと感激する。

定家の「大空は…」は、初句が大きな景を提示して大胆で、ぐっと心を掴まれた。梅の香りが強く薫って、まるでその香りのせいで曇っているように感じられる。空には曇りも果てない、朧月が出ている。この歌は同じ新古今集大江千里の歌、「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」を本歌としているそうだ。本歌が朧月の美しさを詠んだのに対し、濃厚な梅の香りがこちらまで漂ってくるように、視覚に加え、嗅覚が詠み込まれた。

近代短歌を見てみる。

 夏ながら葉の散り落つる梅の木の下べの窓に一人して居り (島木赤彦・氷魚)

冴えかわく斑雪の庭に梅の木の莟はしるくつやだちて見ゆ (土田耕平・一塊)

屹(きつ)として咲かん気色に梅が枝に皆傾けり紅き蕾ら (宮柊二・晩夏)

前に挙げた和歌よりも写生の要素が強くなっていて、対象をまなざす者の視線・自我が感じられる。

赤彦の歌は梅の花ではなく、夏の梅の木を詠んでいてとても好きだ。夏なのに葉が落ちるのは、暑さか、老いたり弱ったりしているからか。木のそばの窓辺に居る作者自身も、梅の木と同じように体に堪えるような暑さを体感していると鑑賞した。

宮柊二の歌は初句の「屹として」にきりっとした音があり、凛として張り詰めた紅梅の蕾が想像できる。漢字にもそばだつとか高いという意味があり、梅の蕾のぷくっと枝から立ち上がったような様が感じ取れる。紅梅が日差しに向かってみな一様の角度をもって付いているさまを言い得ていて、梅の花の状態や雰囲気が非常によく伝わってくる。

 

最後に。梅を詠んだ一連として有名なのは、新元号で話題になった万葉集巻五「梅花の歌」である。先に引用した「我がやどの梅の下枝に遊びつつ鶯鳴くも散らまく惜しみ」もそのうちの一首。この歌について、私は最初それと知らずに読んで心を惹かれたのだが、読み返すうち、あまりに典型的な景であるようにも思われて、どう受け取るべきか悩んだ。すると、新編日本古典文学全集にこの梅花の宴について、「宴そのものが文学的虚構の産物である可能性が大きい」とあり、なるほど、そうだったのかと合点がいった。

当時、梅は中国から輸入された珍貴な植物で、貴族の家の庭にしかなかったそうだ。万葉集の記述を言葉通り受け止めれば、今回の歌は文人たちが、その文壇の中心にいた大伴旅人宅に集って(本当に集ったかどうかは研究者によって見解が分かれる)、大陸渡来の流行の最先端の遊びをし、その遊宴のなかで、次々に梅花の歌を詠んだものだ。漢詩文のほうが詠みやすい舶来の梅を、自分たちのもつやまとことばで、和歌という形式で詠むという試みがなされたのだ。このような背景を含めて、もう一度「梅花の歌」を詠み味わう。大陸文化への尊敬と憧れ。自分たちの文化を生み出そうという理想や願い。しみじみと感動する。