Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 石田比呂志『冬湖』

鳥だって虫だってあの魚だって自分の居場所くらい知ってる

夜半覚めて時計の針を確かめてお臍の穴を覗きて眠る

今日もまた雀がしたり顔に鳴く短歌単純化、短歌単純化

短歌とはよんでくださるあなたへの灯ともしごろの愛の小包

飛ぶ鳥は必ず堕ちる浮く鳥は必ず沈む人間は死ぬ

 石田比呂志『冬湖』(2017) 砂子屋書房 

<メモ・感想>

 最近、自然に目尻に涙が湧くようになった。疲れているのだ。何に疲れているのか。自分にである。自分の短歌の暗唱力の無さに自身、疲労困憊している。<こんな歌があの歌集にあった>はず。現実は厳しいもので、「はず」のものが、見つからない。情けない。今回の掲出歌は、『石田比呂志全歌集』の中に思い当たりをつけていた歌が見つからず、そんな自身を慰めてくれるように感じられた歌である。石田比呂志氏への感心は、発想力と発想の転換にある。だがそれは、軽々しい物言いとは異なり、深い造詣によって固められた地から芽吹き、伸びる、枝葉や花である。今の私はどこかから欲が入り交じり、謙虚さを欠いている。それが自作の歌にも表れていると感じる。情けない。情けない。実に、在り得てならない座標値に居る。掲出歌の一首目、結句が「知ってる」とある。「知っている」ではない、口語表現になっている。このセンスは昨今の口語短歌としても通じる。歌を、知っている、歌というものを、知っている。知っているからこそ、幅広く詠える、「余力」。それを思い知る毎に、やはり、目尻に涙が湧いて来るのだ。