Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 吉田佳菜『からすうりの花』

 『はなぶさむら』より引用 (文責・関口)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〈選歌十首〉

 

吉田佳菜 『からすうりの花』 国際メディア(2015)
 
 
久びさに訪ねくる人待ちわびて部屋ごとに置く水仙の花
 
花びらはわが頬に髪に乱れ立ちつくしたりしばらくの間を
 
髪きりて帰りの道を曲がるとき首すぢに吹く風やはらかし
 
雨の日のコーヒー店に人気なくカサブランカは静まりて見ゆ
 
誰が編みてほどきし糸か白白とからすうりの花夕べの垣に
 
絵筆置きもどかしきまま立ち上がるコスモスの花のいろを描けず
 
二十二時過ぎの電車を待つ駅に本屋のシャッター静かにくだる
 
掃き寄せてもみぢ葉過ぎし日々のごと堆(うづたか)くあり何かいぢまし
 
逆光の窓辺に花かご一つ置くベッドにそれをぼんやり眺む
 
病室のロールカーテン巻き上げて月のひかりを浴びぬベッドに
 
花びらよ散れよと言へば夜の風に吹かれて受けり桜はなびら
 
《感想》
 疲れていた。泣きたかった。そんな折に、この歌集を開いた。私は泣いた。私が思っていた、優しさや謙虚さは、如何程の思い上りだったか。こんなにも、そっと人の傍らに佇むような優しい歌を、私は他に知らない。
 「しばらく」「やはらか」「静まり」「何か」「ぼんやり」。これまで、自分が何度使い、何度突き返された言葉が、元来の意味のまま、歌に存る。
 何かを掴みとるのではない、感じ尽くすのだ。生き方が歌に出る。
 天にいるであろう著者は、傲慢な私にそっとそれを見せてくれた。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<メモ・感想>

もし、今、「どの歌集が好きですか?」と尋ねられたら、何と答えるであろうか。少し前ならば、あっけらかんと「前川佐美雄です。」と答えていただろう。しかし、ここに来て、即答できない自分がいる。「冴えわたる歌」は幾らでもある。では、「寄り添うような歌」はと思馳せると、私は、上記の歌集しか知らない。「上手い歌より良い歌」という格言すら、この歌集のどの頁を繰っても、恥ずかしくなる。「八雁」は地方性と無名性を大切にする集団である。吉田佳菜氏は決して有名ではない。皆が知っていて、皆が注目するような歌集でも歌人でもない。だけれども、私は、何度も、この歌集の存在ー自身の本棚にある背表紙をちらりと見てはーに救われて来た。魂は、一度売ったら、次も売る、その次も売る、売り続けて、原形のままは二度と返っては来ない。覚悟しなければならない。決して、魂を売ることなく、作歌していくということを。求められて作るものではないことを。売れるか売れないか、よりも、伝えられるか伝わるか、そこを、必死に自分にしがみつき、権威から、守り守り、生きていきたい。