Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 喜多昭夫

君はいつもわき目もふらず立ちあがるコーヒーカップの縁を拭ひて

 喜多昭夫『哀歌ー岸上大作へ』八雁・第56号 (2021)  

<メモ・感想>

「八雁」第56号の中より抜粋するにあたり、一番分かり易く、一番思いやりの感じられる一首を目指して今号を読んだ。『哀歌ー岸上大作へ』とあるから、岸上大作の所作を思い起こしてのことだろう。しかし、この歌から私が感じ取ったぬくもりは、岸上大作が云々ということではなく、作者がずっと記憶のどこかに置いていた、昔のとある人の習慣、癖を忘れずにいられたことである。その心持ちに私は共感する。「人間は忘れる事の出来る生き物」である、とどこかで聞いたことがある。そして、忘れられない記憶とは、繰り返し繰り返し、要所要所で記憶が喚起されたものだとも。わき目もふらずに席を離れるその去り際に、無意識の癖で、儀式の様に彼はコーヒーカップの縁を拭う。そこを詠うことで、その彼の姿、性質が伝わって来る、彼の人となりを伝えようと詠っている。最近、自分自身を含め、「私はこういう視座にいます」と、いつもの椅子に腰かけるようなスタイルの決まった歌が多いと感じる。でも、この歌はそれとは異なる感情の通念を感じた。景の切り取り方が美しい歌であると思った。