Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 玉城徹

石をもて彫りたるごときはくれんの玉のつぼみの恋ほしきものを

チュリップのま白き花を露一つすべりて落つと見し日はるけし

松原に遊歩の道のとほれるに人ふたりありてやぶ椿の花

三女性おじぎうやうやしくパフェ退治見れば若からず美しからず

 玉城徹 『玉城徹全歌集』 いりの舎 (2017)  

<メモ・感想>

このところ、短歌の何の本も開くことなく過ごしている。ぱらぱらとは見るのだが、感動がなかった。北原白秋の「泣かまほしけれ」ではないが、ああ感動したい、と思っていた。そんな今日、ふと、思い出したのが、上記、掲出歌の一首目と四首目である。一首目は初句を記憶していた歌、四首目は内容を覚えていた歌。二首目、三首目は、読み返して良い歌だと思い、又、玉城徹氏が幅広い題材を歌にしていた証として記した。そう、玉城徹氏の歌の魅力は一つに、どの様な光景も言葉によって美しく浮き彫りにする点、そして、もう一つ、重要な点は、その言葉の連なりに在る「韻律」の美しさ、だとしみじみ思った。短歌は「歌」である。そこには「音」がある。音というのは不思議と人の寂しさを慰める作用があると、この四首を選歌しながら、改めて感じた。意味も大事、文法も大事、解釈も大事、でも、そんなことで短歌の何が体感出来るであろう。寂しい時に欲する歌に、いちいち、悠長な理由はつけられない。ただ、欲する。迷い迷いてこれかこれかと歌集を開く。玉城徹氏の歌の力は、この様な時に、耳が覚えている「調べ」にある。その効力は筆舌し難い程であるが、まだまだ短歌を信じて行く、まだまだ短歌の知らない魅力がある、まだまだ、まだまだ、だと、愉しさと厳しさを知らしめられた思いがした。もう駄目だという時に、短歌を信じる、歌への、信頼を、力を、与えられた。