Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 斎藤茂吉

満ちわたる夏のひかりとなりにけり木曽路の山に雲ぞひしめる

 逐語訳:満ち渡った夏の光となっていたなあ、木曽路の山には雲が潜んで(隠れて)いて

 この一首は、全く「短歌」に関連の無さそうなーあるライブ・ハウスのインターネット上の広告欄にー載せられていた。横文字の英語が並ぶ画面に、意図的にか否か、この一首がライブ名として上げられている。

 「茂吉はいい」と歌に慣れてくるに連れて、刷り込まれるように聞こえ、私自身も茂吉の歌の良さを自分の芯の部分に少しは置いておけるようになったと思う。

 けれども、茂吉の凄さというのは、上記の様に、ふっと誰かの気持ち、どこかの気配、をさっと代弁するような普遍性が備わっているところではなかろうか。きらめく夏の光を詠いながら、実は、見えぬ雲の存在を見透かし、光と影の両方を意識出来る頭脳が、彼にはあった。大きな景の中に、人の心のバランスの取り様を重ね合わせてくる様な、哲学的な視点がある。

 知らず知らずのうちに、ある一首が、時代もジャンルも超えて、誰かの懐に入り、その音を震わせ、作者の声を響かせる。

 それは、決して大袈裟な意味ではなく、「歌が人の役に立った」出来事だと、私には深く思える。

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<引用・参考文献> 斎藤茂吉『ともしび』

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*当面の間、月曜日・木曜日を目処とした週二回の更新になります。何卒宜しくお願い申し上げます。