Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 奥村晃作

 ジョーンズの一枚の絵のどこ見ても現わし方がカンペキである

 今回は、歌の鑑賞ではなく、奥村晃作氏の魅力を伝えたく記す。

 奥村氏は「定型がベスト」という姿勢を崩さず、それでいながら、ガルマン歌会などにも足を運ばれたことがある様だ。

 私が一度、お会いしたのは、ある歌集の批評会であった。中休みに外の空気を吸いに出たら、人工的に作られた狭い庭を通る川にメダカやあめんぼがいて、それをご覧になりながら、私に、「東京でもあめんぼがいる」と声をかけてくださったのが氏であった。若い女性の多い、小さな批評会であった。すると、最後に奥村氏がやや憤る様な語調で、「とにかく、定型を守る。私は忙しい、この様な(定型でない?)歌に時間を割けない」という内容を仰った。その時、無知な私は、なぜここにいらしたんだろう、という不遜極まりない疑問しか浮かばなかった。

 その後、氏の歌集のタイトルに驚いた。『ビビッと動く』。「???」となった。確かに七音である。あんなにお堅そうに拝見していたのに、このタイトルは一体……。開いても、今一つ、よく分からない。当たり前の事を歌にしている……。

 その「当たり前の事を歌にしている」のが、如何に大変で大切なことなのかを、後々気付いて、本当に恥ずかしくなった。一方で、本当に、我が道を行き、若手の歌人への理解にも精力的に探究する精神を知った。

 そう思うと、本当にこつこつと作歌し研究することを続けてきたその精神力に、涙が出そうになる。

 歌そのもの、歌だけ、を鑑賞することは、必須であると考えている。だが、それだけで良いのだろうか。「歌」という「作品」を「作る」。「歌」そのものでは世界は変わらなくとも、「歌を作る」その行為が世界を変えることはあると、私は考えている。「歌は世界を変えられるのか」というと大仰だが、一人の人間の人間性を変える、一人の人間が歌を作り始め、作り続けていくことで、その人自身が変わることはある、と信じている。そして、それは、出来上がった歌の上手い下手の問題とは異なる、人間性、強いて、作歌姿勢から、既に始まっているものであると、思えてならない。

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<引用・参考文献> 奥村晃作『ビビッと動く』六花書林(2016)p24

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*当面の間、月曜日・木曜日を目処とした週二回の更新になります。何卒宜しくお願い申し上げます。