Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 『第113号 現代短歌新聞』(2021年8月5日発刊)を読んで

月岡道晴『視点ー研究と現代短歌の架橋』(p)を読んで

 以下、抜粋。

「戦後のある頃までは万葉集のみならず、和歌文学の研究は歌人が多くを担っていた」

「『私たちより二世代ぐらい前の研究者たちは、若い時は短歌を作るのが当たり前だった。・・・(中略)・・・私たちの世代よりひとつ年下で、研究をやりながら、歌を作っているのは月岡道晴くんぐらいなんですよね。あとは若いところでは大島武宙くん、かなぁ。』」*大島は寺井龍哉の名で多くの短歌評論を著している。

「研究者は現代短歌に関心がなく、歌詠みは研究の成果に関心がない。口語文体に覆われつつある現代短歌だが、この両者が再び手を取り合う術を探さなければ、そもそもなぜ三十一音で詠むのかも怪しくなりかねない。」

 

 この記事のちょうど真裏、現代短歌新聞の一面に、第五十五回迢空賞を受賞した俵万智氏が載っている。私にも、せっせと、詩のような、フワフワした言葉を日記に書いていた夏がある。その頃、俵万智氏の『サラダ記念日』は、いかにも軽く、短歌でもそれらを表現出来るんだよと一気に、門を開くような存在だった。キャラメルのおまけとして、俵氏(万智ちゃん)の歌がカードに付いて来る。友達や親戚のおばさんにも頼み、私はそれを搔き集めていた。テレビでは、NHKでアニメの清少納言枕草子が流れており、私はフワフワしたまま、何も気付かず、何の抵抗もなく、学校の古文の授業を楽しみに毎日、登校していた。そのうちに、夏休みの宿題で初めて短歌の指導を受け、一年間だけ短歌愛好会にも所属していた(人数が足りなくなり一年で終了した)。     

 そんな調子で、「八雁」に入り、何にも知らずに続けていた、ある日、とある賞を受賞された石井僚一氏の歌を拝見し驚いた。私の知っている「短歌」ではなかった。これが評価されるのだとしたら、私は、物凄く壮大な思い違いをして、青春時代の化石のまま、「八雁」にいたことになる。そして、石井僚一氏の歌のような系統の歌が2000年代において、少なくないことを知り、さらに後退りした。そして、始めたのが、「現代短歌全集を読む」である。どうやら、体系的な古文の勉強というのは、機会や時間が無いと中々、取り掛かるのに難しい。私は、同時期に、ある理由で退職し時間だけはあった。ぼちぼちやるしかないと思った。石井僚一と金子薫園を天秤にかけると、金子薫園の方から山の頂を目指すしかないと思えたし、それを、望んだ。両方が同じくらい未知であった。

 2021年夏は、自粛生活の上にある。私は、上記の月岡氏の記事を読み、俵万智氏の変わらぬおかっぱの写真を眺め、一合は登ったひと夏を過ごすべく、短歌史ノートを作り始めた。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<引用・参考文献> 『第113号 現代短歌新聞』(2021年8月5日発刊)p2

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*当面の間、月曜日・木曜日を目処とした週二回の更新になります。何卒宜しくお願い申し上げます。