第七十三回 『濁れる川』窪田軽穂
第七十三回 『 濁れる川』窪田軽穂 (大正四年)
<選歌17首>(全1011首より)
麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ
麦の穂のしらしらひかり春の日のたのしかりし今日も終らんとすぞ
生まれては初めて見るとまさやかに青き五月の天(あめ)と地(ち)を見つ
初夏(はつなつ)の真夜中の路われ行きつ行くべき路を忘れたりけり
わが眼よりとはに消えゆく人として胸に浮かべつ友のおもかげ
いつかまた我と我が身にうちむかひ同じ事をばつぶやきてゐる
机うちて我とわめきつ故知らぬ憤(いきどほ)ろしさ胸にあまりて
こころみに吹いて見ぬればわが笛はほろほろと鳴りてただあはれなり
さみしさが連れいだしけん人あまたさみしき人の我に寄り来つ
死をばわれ胸にとらへて見かへればいとさやかにも胸に入り来も
秋の風つめたく吹くにわがカンナ見よいやはての花びらをはく
わが心燃ゆると見ればうつくしく見えてむらがるもののまぼろし
人は皆ふたりして棲む紅蓮洞五十路(いそぢ)を近みただひとり棲む
この谷にうたひだしつ鶯のわれとその音(ね)に驚くものか
ここに立ちて電車を待つもこの店に煙草を買ふも久しきにわれ
しとしとと若葉うちてはふる雨の音ききをり心うれたみ
見てあれば空なる月のただ一つありとし見えてものすべて消ゆ
思ひ入ればあはれによわき我というふもの見え来り息づかしもよ
〈メモ・感想〉
第二歌集(作者38歳時)。1877年(明治10年)6月8日 - 1967年(昭和42年)4月12日)。長野県出身。
【参考・引用文献】 『現代短歌全集』第三巻 筑摩書房(1980)