Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 阿木津英『黄鳥』(2014)砂子屋書房 p131

 仰ぎつつ歩みをとどむ夕ぞらはいまだも青きひかりながらふ    阿木津英          

 「芸術というものは、何千人もの気長な仕事ぶりと思考と感情から生まれてくるものである。/ 余暇は芸術のために絶対必要である」。この文章を目にした時に、「?」と思った箇所があった。それは、「余暇」という言葉である。加えて、「余暇は芸術のために絶対必要」という意味がまだ持って理解に落とし込めずにいる。「余暇」とは広辞苑によると「自分の自由に使える、あまった時間」、「ひま」、「いとま」とある。余暇の必要というのは、上記の意味から考えるに「自由に使えない時間がまず先にあって、自分が自由に使える時間がある」というのが当たらずとも遠からずであろう。ただ、「あまった時間」というのは今の日本にいてなかなか感じられない、ともすれば贅沢ささえ匂ってくる言葉である。けれども、そこを擦り合わせていくと、「時間はつくるもの」、「時間を有効に」、「有意義な時間」など、一瞬、陳腐で合理主義的に思われる発想が違って見えて来る。「芸術というのは何千人もの気長な仕事ぶり」によって今日まで脈々と生き存えてきたものであり、そこには、何千人もの人間が生計を立てながらも「余暇」をもって、その余暇を芸術に捧げてきた、何千人もの人の息吹が込められたものなのだと、私は受け止めている。全くの見当違いであるかも知れないが、「余暇」とは「精神の解放」であるとするならば、それは「芸術に絶対必要」である。 

<引用・参考文献>

 阿木津英『黄鳥』(2014)砂子屋書房 p131

 ラフカディオ・ハーン小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために』角川ソフィア文庫

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*当面の間、月曜日・木曜日を目処とした週二回の更新になります。何卒宜しくお願い申し上げます。

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