Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

第二十二回 私はなぜ前川佐美雄が好きか(5)

第五回 (2)研究発表 (2017.1.29)
『前川佐美雄』三枝昂之著(五柳書院・1993)のまとめ

1、 「昭和短歌」という領域の想定
 明治以降の短歌は、近代短歌と現代短歌に区分されることが多い。

<大正期>
木俣修は『昭和短歌史』の第一章で、「大正時代が十五年で終わるなどということは、予見できるはずはなかった。にもかかわらず、大正十五年という年の歌壇には、まるで大正期が終って、新しい時代の来ることを予見したようないくつかの事象がおこっている」と述べている。

事象とは
 ①大正四、五年以降、歌壇に主導的な勢力を占めてきた『アララギ』の総帥である島木赤彦の死
 ②雑誌『改造』七月号における「短歌は滅亡せざるか」という特集
 ③新短歌協会の結成(新興短歌をめざす人々の結集)
の3点である。

*新興短歌が勢力をあらわし始め、大正時代が終わった。

<昭和期>
坪野哲久の死(昭和63年)、前川佐美雄の死(平成2年)、土屋文明の死(平成2年)の、昭和を丸ごと生きた大家が亡くなった、そこに昭和時代のピリオドを求めることはできる。

昭和短歌の支柱となった出来事とは
  ⓵太平洋戦争への反省として意識された短歌の民衆性
  ・窪田軽穂と歌誌『まひる野』における〈民衆詩としての短歌〉
  ・土屋文明選歌欄
  ・人民短歌運動
  ⓶第二芸術論と短歌的実践
  ⓷前衛短歌(戦争への反省)
  ・新歌人集団:近藤芳美、宮柊二、加藤克巳
  ・前衛短歌:塚本邦雄岡井隆

2、 昭和短歌への問題提起
 ①短歌は、昭和初期においてシュールレアリズム運動をどのように咀嚼したか。・・・・・・自由律運動
 ②昭和十年代の時代圧力の昂進の中でいかに美の象徴性を獲得したか。・・・・・・・・・・坪野哲久
 ③戦後、どのような自己切開の中で皇国の前衛文学を担った短歌の様式を再生したか。・・・斎藤茂吉

このように、個々人に割り当てて問題を見ることもできるが、昭和短歌にとって不可欠な問いとそれへの応えは、前川佐美雄を通すと、この三つの問題が、明確な像として浮かび上がる。

*各局面の肝心な部分において、そのモチーフを象徴的に担っていた立ち位置が、前川佐美雄の特異な偉大さである。

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この話もこのへんで終わらせます
レプリカの鯨 | 2017年01月30日
昭和前半は、思想や表現の自由が弾圧され、戦争で一億総火の玉になり、そしてアメリカにやられて、火だるまになった時代で、明らかに昭和二十以前と以降は、違います。
それは文学・思想、全般においてそうです。
確かに小林秀雄は反省しなかったかもしれませんが、大勢は、リベラリズム〈大正)⇒(ひろい意味での)翼賛体制⇒その崩壊と再出発、という構造をとっています。
詩の世界でいえば、金子光晴小野十三郎がその例外で、小野は短歌俳句を奴隷の韻律といい、それが第二芸術論の碑付けになり、戦後の短歌前衛運動のきっかけになります。
わたしが、気になるのは、そういうなかでの、前川のポジションですよね。
三枝さんの言より、前川の実作のなかで知りたいですね。

 

返信
Re:この話もこのへんで終わらせます
関口 | 2017年01月31日

レプリカの鯨様


本当に、貴重な御助言を頂き、有り難うございます。

前川佐美雄の生涯をメインに年表を作り直しました。
昭和11年(33歳)から昭和14年(36歳)に掛けて、作歌したものを、昭和15年(37歳)に、第二歌集「大和」として発刊しています。第二次世界大戦中です。そして、それ(「大和」)以前に作歌したものを、翌年、太平洋戦争が始まった年、昭和16年に第3歌集「白鳳」(38歳)として発刊しています。

次回の選歌で、「大和」を取り上げますので、そこで、もう一度、「大和」以前の歌と、比較検討します。

何らかの思惑があって「大和」を先に発刊したのか。並びに、「大和」の内容。戦時中であることを視野に入れ、読みたいと思って居ります。

まだまだ、発展途上の身ですが、自分の気付かぬ点を御指摘頂けると、本当に、有り難いです。

 

返信
レプリカの鯨様へのお尋ねです。
関口 | 2017年01月29日

私が今、どうしても分からないのは、

・昭和十年代の時代圧力の中での美の象徴性の獲得
・皇国の前衛文学を担った短歌の再生

です。

もし、その点を知るのに、役立つ本あるいは、御助言等がございましたら、教えて頂きたくお願い申し上げます。
返信
全体と個人(年表のなかで)
レプリカの鯨 | 2017年01月28日
大正期から昭和前後半の歌壇の思潮と個人の思想の流れですね。このへんを深めるといいですよね。個々人は時代に思潮にのった人も、のらなかった人もいるでしょう。例えば、茂吉は思潮にのっちゃいましたよね。少なくとも翼賛的な歌を作り、戦後はそれを隠すようなことをした。前川どうだったのかな。それが彼の歌を検討する場合のいひとつの切り口でしょうね。

 

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Re:全体と個人(年表のなかで)
関口 | 2017年01月28日
貴重な御助言を頂き、本当に、有り難うございます。いつかは自分の中に落とし込まねば、と思っていた、戦争と文学、または、短歌史を、今、学び始めたばかりです。

まだ、一つ目のご質問に答える力がなく、年表を作り、頭の中を整理している段階です。

御時間が掛かり、本当に申し訳ございません。

 

返信
訂正
レプリカの鯨 | 2017年01月24日
機関⇒期間 失礼しました

 

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昭和期
レプリカの鯨 | 2017年01月24日
普通に考えて、昭和というのは前半と後半に別れる。デモクラシーの匂いがした大正期と昭和前半は一緒にはならない。この論文では、昭和期が戦後の機関でしかとらえられていない1の記述と、2の記述との間にも矛盾がある。ぜひ筆者の意見を聞きたい。

 

返信
Re:昭和期
関口 | 2017年01月29日
三枝氏は、「明治短歌史」「大正短歌史」は短歌史の中に存在しているが、「昭和短歌史」はあくまでもその延長線上にある仮定の領域として、考えておられます。
また、「文学」では、平野謙氏の「昭和文学の出発は芥川龍之介の自殺(昭和2年7月)に始まる」という言葉を引き、その上で、「短歌」にとって、「大正15年」は期せずして新しい時代を迎える諸体制がととのえられたが、一方で、では、「昭和」が終わった時、それが「短歌史」的に、何かの終わりとしての働きがあったのか、という疑問を投げ掛けておられます。
ここでは、三枝氏は、戦後の民衆詩としての短歌や、新歌人集団、前衛短歌等を挙げ、それらが、「昭和短歌」を支える柱であり、「短歌史全体」の中で「昭和短歌」という領域を探究するのであれば、シュールレアリスム運動の咀嚼、昭和十年代の時代圧力の中での美の象徴性の獲得、皇国の前衛文学を担った短歌の再生、をモチーフとして提出されております。
そして、三枝氏は、「昭和短歌」という領域が、前川佐美雄を通すと明確に浮かび上がる、と述べられております。

三枝氏は、文学の中における「短歌」という捉え方をなさっており、「文学史」上での昭和前半・後半という分け方は、必ずしも、「短歌史」に当てはまるとは、述べておられません。

以上、一応の、まとめ直しになります。