本日の一首 ー 杉下幹雄『俚歌』(2014)本阿弥書店
丹沢にゆふべ降りたるはだれ雪ひるをまたずに消えにけるかも
鐘楼のみどりの屋根のむかうには今年の桜二分か三分か
菜の花のまばらに咲きて捨て畑去年耘(くさぎ)りし人のゆくへや
花の枝にみどりはあさくさしそめてあかるき雨の通りゆくなり
野田の道風のつめたき一日をふたりさまよひ帰りきにけり
ほととぎすしき鳴く朝の涼しさのみ寺にひとりつつしみてゐる
川底の石かわが身かはつなつのひかり透ればゆらめきやまず
竹とんぼそれはきのふの空に消え男ばかりがひとりあそびす
わが家に咲きたるしやくなげ去年よりも紅色すこしうすしと思ふ
ひとところ動かず咲きて桜木の三十三年そのひたすらの
山あひの刈田にまじる蕎麦畑さみしきものに白く咲き敷く
想ふことなにとてなけれ静けさにただ耐へてをり秋の夜長を
目の前にかはせみとまりて動かねばわれも動けず寒風(さむかぜ)の中
ただひとつこおんと鳴りてをはりたり午前一時を告げて時計は
青空を窓に映せる店なればモンブランふたつ買うて帰れり
両三度念仏(ねぶつ)となへて詮もなしうつつの里へと降り行かむとす
帰らむと言へばうなづくひとありてほたる見ぬ夜の闇やはらかし
セメントの箱に二人で棲みなして窓より覗くは鳥にさも似る
ひと月を咲きつづけたるカトレアの白き花弁に錆出でそめぬ
さゐさゐと木原をしぐれ通ふなり疲れたる目をしばらくは閉づ
にはとりの卵をひとつこつと割る明日が見えたと言ふにあらねど
さしあたり床(ゆか)に沈んでゐることが最良にして唯一の策
杉下幹雄『俚歌』(2014) 本阿弥書店
本書を手にし、開いた時に、ああ私は、これを読み、涙を流すだろうと思った。『俚歌』は「さとびのうた」と読む。「俚」と辞書を引くと「いやらしい」「田舎じみた」「日常卑近」とあり、その言葉の構え方に、また、自分自身の醜い感情がぼろぼろと零れ落ちるような、動かし難い重厚さを感じた。私がこれまで短歌を続けて来られたのは、この様な、純粋な精神に、折々、触れる事があったからであろう。年齢を重ねれば重ねるごとに、価値観が凝り固まり譲れなくなっていく。そうして、勝手にしこりを作り、他人との別離も生じる。それでも、生きていかれるのは、こうした‘魂’に歌を通して接し得るからであろう。人の心がこんなにも美しくなる、ということを歌から教わる。時間は、過去を作り未来へ向かう。襲い来る不安に、この歌集が充分に応えてくれたこと、また、そういう効用が歌には在ると信じさせてくれたことに感謝する。
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*当面の間、月曜日・木曜日を目処とした週二回の更新になります。何卒宜しくお願い申し上げます。
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