Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 大西民子

インタービュウを終て来てくだる丘の道風にとぎれつつ麦笛聞ゆ

わが教へし舟歌(バルカロール)今も忘れずと何故に書き来しや母となれる教へ子

                (『まぼろしの椅子』)

天日(天日)にまたさらされぬ音もなくあきたるドアをまろび出づれば

モデルなどありて描きしやルオーの絵の小人は前の歯が欠けてゐる

                     (『雲の地図』)

働くことはよごるることか帰り来てハンカチを洗ふゆふべゆふべに

手袋のチュールに透かすトパーズを賜ひし人もすでにおはさぬ

満員のバスに揺られて通ひつつ帰りには見ず桃の花さへ

守られて生きたる日なきわが上にいたくやさしくいざなひの声

                (『風水』)

 大西民子 『大西民子全歌集』(1989)沖積舎

 一読乱読の上、大変、無礼であるが、歌の上手い下手がはっきりとしている歌集だと思った。そして、それは私自身にとって、安心をもたらし、作り続ける事の意味の深さを、しっかりと現前化させるものであった。掲出歌は、どれも、大きな景を詠うものでは無い。誰しもが読んで理解出来る、日常の物事を「『短歌』にしている」のだ。誰かに話してしまえば、おしゃべりで終わってしまう様な事を、一首一首、編んでいる。ほんの少し、日常から浮遊して詠う、詠える。初期の二首は言葉の選択が良いと思った。次の二首は自身の「陰」が素直に出ている。最後の四首は、口にしてしまえば変哲なことを昇華して、広がってゆく世界、を感じた。現実を見る目、現実がどうみえるか、そこからがすでに作歌の出発点なのだと明示している歌集である。