Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 俵万智『サラダ記念日』

 

長江を見ていたときのTシャツで東京の町を歩き始める

「人生はドラマチックなほうがいい」ドラマチックな脇役となる

ハンカチを忘れてしまった一日のような二人のコーヒータイム

 俵万智『サラダ記念日』(1986)河出書房新社 

 

<メモ・感想>

 「生きることがうたうこと・・・・・・うたうことが生きることーなんてことない24歳が生み出した感じやすくひたむきな言葉。三十一文字を魔法の杖にかえ、コピーライターを青ざめさせた処女歌集。空前絶後のベストセラー!」と裏表紙にアピールされている。「万智ちゃん」に憧れて青春時代を過ごした。確か、この頃は「ファジー」という言葉が産業のコンセプトとして流行り、家電製品を始めとするCMなども物語風やドラマのシーンのような、大人のかっこいいライフスタイルが多かったと記憶している。女性の一人暮らしもおしゃれなものとして雑誌などに載っていた。自動的に、子どもは、「大人になったらあんな風に・・・」と、ふわふわした夢を描く、そういう世間の流行りや風潮があった。

 掲げた歌の三首目の頁に折り目がついていた。私はこの表現を幾度となく会話の中で、使ったことがある。けれども、それが俵万智の歌からの引用だったことなど全く覚えておらず、もう少しで盗作しそうな程、すっからかんに忘れていた。どこでどう言われようと、影響を受けたことを決して否定出来ない自分が居る。

 あの時代には、従来の、石垣りん工藤直子のような「確固たる『詩』」ではなく、このような、「ファジーな『ポエム』(銀色夏生貞奴・・・etc)」、ちょっと気の利いた、フレーズと写真を組み合わせた、贈り物などになるようなミニ写真集が、本屋に平積みにされていた。それこそ、俵万智の短歌が、キャラメルのおまけに付いていた、そういう時代だったのだ。ふわふわした言葉や文章が商品となって、出回っていた。

 さて、「残ったもの」。「作品である」こと。それが、「実力」、だと思う。