本日の一首 ー前川緑(ニ)
昭和十二年七月日支事變始まる
この庭はいと荒れにけり下り立ちて見ればしどろにしやがの花咲く
朝闇をつんざきて來る銃の音ただならぬ時を額あつく居ぬ
奈良に住み西の山見る愁ありその夕雲に包まれやする
淺茅原野を野の限り泣く蟲のあらたま響き夜の原に坐す
秋の光はやくうすれて富みの川べに龍膽つめばわが手に餘る
村人に田畑の話聞く秋を山吹の花の忘れ咲きせる
前川緑『現代短歌文庫』砂子屋書房 (2009) p21「奈良」
<メモ・感想>
一首目、場面の展開が三つある(庭の荒れ、庭に下りる、花が咲いている)。二首目、「額」という語の独特な言葉の斡旋。四首目、「夜の原」までは分かるが「(夜の原に)坐す」この言葉の解釈が難しい。六首目、「忘れ咲きせる」も説明しようとすると難しいのだが、作り手の気持ちがよく表れている言葉遣いだと感じた。夫である前川佐美雄の歌も、正確な逐語訳はつまらないのに、なぜか、読者を引き込む歌として成り立っているものが多い。前川緑の歌も似たところはあるが、後者はまだ地に足のついたような、読み手に手掛かりをもたらしていると思っている。<続>