本日の一首 ー前川緑(三)
わが生まむ女童はまばたきひとつせず薔薇見れば薔薇のその花の上に
月足らず生れ來しは見目淸くこの世のものとわれは思へず
生れ來て硝子の箱にかすかなる生命保ちぬながき五日を
『逝きし兒』
さにはべのつらつら椿つらつらに父の邊に來て病やしなふ
傷負ひてあへなく死にし鳥思へば厠にながき春の日昏れぬ
南京の小皿にのせし夏蜜柑に砂糖をかける午後のつれづれ
冬の燈をあかるくともし夜をあるかつゑといふも夢となるらむ
木々靑き山のかなたは知らざれど生命光りぬ石のごとくに
星ひとつ煌く樹々の中天(なかぞら)になほとけ合はぬ夜の思ひあり
荒(すさ)びたる人のこころをかり立てて穂草丈なす野となりにけり
この夏の荒れし狭庭に下り立てば伊吹麝香草(いぶきじやかうさう)辛(から)く匂へり
『椿』
前川緑『現代短歌文庫』砂子屋書房 (2009)
<メモ・感想>
『逝きし兒』は辛い出来事を詠っている。こういう時、表現力と実感情のバランス、あるいは乖離の加減が試されると思った。類まれぬ視点がこの三首から窺える。『椿』は、どこかー前川佐美雄にも通じることだがー植物と対話しているかのような距離感に、作者の独特さが見出されている。奇妙に感じられる歌だと捉える人もいるであろうが、私は、この奇妙で整っていない、生き辛さを想起させる、これらの歌の虜になっている。<続>