Karikomu

「かりこむ」は、八雁短歌会員を基とした短歌を学ぶ場です。

本日の一首 ー 水島育子

君に会えば楽しきことを言いたくてスマホのメモに話題を記す

  水島育子『八雁』(2022年1月号) p83

 やや欠詠が続いていた水島育子氏の久しぶりの出詠に、ほろりとした。ここまで、実直な歌があるだろうかと思う。昨今の口語短歌は、好き勝手に歌を作ることが、イコール、「(表現の)自由」であり」、「自分に素直である」ことだと思っているのかと、私は勘ぐっている。そうでありながら、本当の自由、本当の素直さ、とは何ですか?と問われると、一概に定まらない自分自身がいる。この歌は、思い切り「自由」で、思い切り「素直」である。誰に読まれるか、読者はどう反応するかなど、微塵も感じられない。極々、日常の中の作者の秘めた密な所作を、真っ直ぐに差し出している。その気概に、彼女自身の豊かな心の自由を感じる。もう少しで、初心を忘れかけそうだった自分を、この歌が守ってくれたように思える。

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*当面の間、月曜日・木曜日を目処とした週二回の更新になります。何卒宜しくお願い申し上げます。

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本日の一首 ー 杉下幹雄『俚歌』(2014)本阿弥書店

 丹沢にゆふべ降りたるはだれ雪ひるをまたずに消えにけるかも

 鐘楼のみどりの屋根のむかうには今年の桜二分か三分か

 菜の花のまばらに咲きて捨て畑去年耘(くさぎ)りし人のゆくへや

 花の枝にみどりはあさくさしそめてあかるき雨の通りゆくなり

 野田の道風のつめたき一日をふたりさまよひ帰りきにけり

 ほととぎすしき鳴く朝の涼しさのみ寺にひとりつつしみてゐる

 川底の石かわが身かはつなつのひかり透ればゆらめきやまず

 竹とんぼそれはきのふの空に消え男ばかりがひとりあそびす

 わが家に咲きたるしやくなげ去年よりも紅色すこしうすしと思ふ

 ひとところ動かず咲きて桜木の三十三年そのひたすらの

 山あひの刈田にまじる蕎麦畑さみしきものに白く咲き敷く

 想ふことなにとてなけれ静けさにただ耐へてをり秋の夜長を

 目の前にかはせみとまりて動かねばわれも動けず寒風(さむかぜ)の中

 ただひとつこおんと鳴りてをはりたり午前一時を告げて時計は

 青空を窓に映せる店なればモンブランふたつ買うて帰れり

 両三度念仏(ねぶつ)となへて詮もなしうつつの里へと降り行かむとす

 帰らむと言へばうなづくひとありてほたる見ぬ夜の闇やはらかし

 セメントの箱に二人で棲みなして窓より覗くは鳥にさも似る

 ひと月を咲きつづけたるカトレアの白き花弁に錆出でそめぬ

 さゐさゐと木原をしぐれ通ふなり疲れたる目をしばらくは閉づ

 にはとりの卵をひとつこつと割る明日が見えたと言ふにあらねど

 さしあたり床(ゆか)に沈んでゐることが最良にして唯一の策 

  杉下幹雄『俚歌』(2014) 本阿弥書店

 本書を手にし、開いた時に、ああ私は、これを読み、涙を流すだろうと思った。『俚歌』は「さとびのうた」と読む。「俚」と辞書を引くと「いやらしい」「田舎じみた」「日常卑近」とあり、その言葉の構え方に、また、自分自身の醜い感情がぼろぼろと零れ落ちるような、動かし難い重厚さを感じた。私がこれまで短歌を続けて来られたのは、この様な、純粋な精神に、折々、触れる事があったからであろう。年齢を重ねれば重ねるごとに、価値観が凝り固まり譲れなくなっていく。そうして、勝手にしこりを作り、他人との別離も生じる。それでも、生きていかれるのは、こうした‘魂’に歌を通して接し得るからであろう。人の心がこんなにも美しくなる、ということを歌から教わる。時間は、過去を作り未来へ向かう。襲い来る不安に、この歌集が充分に応えてくれたこと、また、そういう効用が歌には在ると信じさせてくれたことに感謝する。

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 大切な方々へ

 

 いつもKarikomuをご高覧頂き、本当に、有り難うございます。

 諸事情により、次回の更新は、1月31日(月)となります。

 折角に掲示板を開いて頂いた方へ、心よりお詫び申し上げます。

 2022年も、心の換気をしながら、精進したく思っておりますので、

 何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

 掲示板管理人 関口智子拝

本日の一首 ー 小田鮎子

コンビニに水を買うため立ち寄れば二、三種類の水冷えている

  小田鮎子『八雁』(2022年1月号) p4

 この歌は、逐語訳の要らない歌である。歌集であれば「箸休め」としての役割を果たすであろう歌。小田氏は、時折、この様な無機質なものを素材として扱い、詠うことがある。それを、これまでの私は訝しげに思ってみてきたが、ここにして思うのは、それが、決して「散文」にならない、すれすれの所で「歌」にする、氏の経験値の高さである。日常の場面場面で、これは歌になるならないといった選択を如何に重ねて来たか。そこには、テキストも正答も無い。体感の積み重ねで掴んだものであると私は思う。逆に言えば、その様な鍛え方をしていない私には、とても詠えない一首である。私は随分と理解に時間が掛かってしまったが、掲出歌の有り様が、「個性」、あるいは、「文体」として、見えてきた今、氏のこの様な歌を、短歌の詩形の美に通じている一首一首として、尊重する気持ちになった。 

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本日の一首 ー 上妻朱美『姶良』(2021)砂子屋書房

わずかにも伸びたる爪が気にかかり午前二時ごろ起き出でて切る p42

ほとばしる水の下にて擦ったり回したりして大皿洗う p49

大蒜とローズマリーを惜しみなくオリーブオイルに鰯を揚ぐる p66

花びらの一枚いちまいに水くばる春の桜のよく機能して p67

無邪気なる笑顔ばかりが甦る五十二歳の友を知らねば p81

駅に子を降ろして今朝も晩秋のかがやき溜むる海を見に行く p95

台風の近づき来るを知る猫か船揚場にて船を見上ぐる p143

条なして空間を降りくる雨を風が大きくひるがえしたり p165 

  上妻朱美『姶良』(2021) 砂子屋書房

 上妻朱美氏の力は以前より認識していたつもりでありながら、この歌集を開き、本来の底力を再認識せざるを得なかった。言い方は良くないが、余りにも洗練されていた為、ノーマークで目を通していたのだ。これは、単なる日常のスケッチではない。三首目の言葉の選択の相乗効果、四首目の「機能」という語を持ってくる果敢さ。六首目の何とも言えない感性。六首目、七首目は、詠いたい事物や現象を見事に「歌」にする完成度の高さ、を感じた。

 熟練にしてなお素直な歌が、眩しい。

 これからの、上妻氏の歌を読む愉しみが、益した。

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斉藤政夫 ー 感動を表現するには

感動を表現するには

子どもの虐待事件が報道されるたびに、胸が痛む。2019年1月24日に千葉県野田市で起きた小4女児死亡事件は忘れられない。小学4年栗原心愛(みあ)さんは義父から拷問ともいえるほどの虐待を受けて死亡した。

 心愛さんは11月6日、当時通っていた小学校のいじめアンケートに「お父さんにぼう力を受けています。先生、どうにかできませんか」と記し、助けを求めた。(添付画像1)

もう一つ、ほぼ同じ時期に児童虐待事件が起きている。

2018年3月、東京都目黒区に住む船戸結愛(ゆあ)ちゃん5歳が両親から虐待を受け、亡くなった。結愛ちゃんは両親から日常的に暴行を受けていたと見られており、見つかった時には全身170カ所の傷を負っており、体重はわずか12.2キロでした。

 私の心に残っているのが結愛ちゃんが両親に向けて大学ノートに書いた手紙(反省文)です。(添付画像2)

「パパとママにいわれなくてもしっかりとじふんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてくださいおねがいしますほんとうにおなじことはしません ゆるして」「きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやっていたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから もうぜったいやらないからね ぜったいやくそくします」

5歳の女の子が書くような内容とは思えません。5歳の女の子が反省文など書くでしょうか。

報道記事を読むと、当時の女児が置かれた厳しい状況が分かる。女児はどんなにか「恐ろしかっただろう」「苦しかっただろう」と思う。胸の底から悲しさがこみあげてくるのだ。

この気持ちはどうしようもなく、訴えずにはいられない。それで、これを歌にした。歌にすると、悲しさも相対化してしまうから、歌にしないほうがよいかもしれない。歌が現実の事件に押しつぶされるのだ。散文詩の方がうまく言えるかもしれないが、散文詩もまたそれ特有の難しさがある。焦点がぼけるのだ。まして、散文だとなおさらのことだ。

拙歌を以下に示す。

眠らせず食事を与えず水浴びせ義父(パパ)はすごみて小女死なせり

 歌が歌えないのは技量の稚拙さもあるが、そもそも、こういう社会詠に属するような重いテーマは一行詩では無理なのではないか。このようなテーマは歌ってはいけないのではないか、と迷う。

 少し長くなるが、島田修三は、「感動とは何か」というテーマ(「短歌」掲載)で、次のように述べている。

 小説、演劇、映画、アニメ、漫画でもって感動することもあろうが、その感動を歌に、などという間接は、いやしくも歌よみとしてなにやら間の抜けた話ではないか。歌という短い形式は、大きく激しく揺れ動くこころを、その原因となった事物・現象込みで表現するにはあまり向いていないと私は思う。

 働いても働いても生活が楽にならずに滅入る男が、じっと掌を見つめたーーーその瞬間を余韻、余情としてよぎる微かなこころの動きが読者のこころをとらえる。こういう表現と享受の間の文学的回路を切ひらいたのが近代短歌だといっていい。

これを自覚的な歌論として窪田空穂は、「微かなひびき、微かなゆらぎといった風な一呼吸」を歌のモチーフに捉えようとした。こころが深々と感じ入った結果、大きな揺れ幅で動く感動というようなものでなく、日常の瞬間瞬間をこころによぎる、ともすれば見逃してしまうような微妙に揺らぐ気分を捉える。いわゆる微動論、微旨論である。

 こうしたものを読むと、「大きな揺れ幅で動く感動」は歌っても歌にはならないと思わされる。しかし、何と納得できないが、一旦は、意見を保留することにしよう。

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本日の一首 ー 阿木津英「釋迢空」について③(前半)

下記、釋迢空の略年を通して、時代背景を記す。

1887年(明治20)大阪浪速区の生薬屋に生まれる。

1900年(明治33)十四歳。父に買ってもらった『言海』『万葉集略解』を精読、筆写。

*『言海』・・・国語辞典。

1901年(明治34)十五歳。三兄の進(すすむ)氏がとっていた『明星』、『心の花』を   

読む。進氏が「文庫」に、迢空の歌を(無断で)投稿し、服部躬治の選に入る。

*この年に與謝野晶子の『みだれ髪』が出版され、全国的に「明星」が流布する。

*短歌の投稿雑誌が流行り、北原白秋なども投稿していた。

1902年(明治35)父急逝。図書室の『新古今集』を読み耽り回覧雑誌に短歌を載せる。

*この時代は、まだ、「''和歌''の世代」。

*和歌的教養が浸透している時代であり、まだ、旧派(宮内庁歌会)が強かった。

1905年(明治38)中学卒業。九月に國學院大學予科に入学。

1907年(明治40)二十一歳。国文科に進学。服部躬治に入門(束脩)するも、一度の批評を受け、止める。

1908年(明治41)『アララギ』創刊。~明治42年 森鴎外の観潮楼歌会。

*『アララギ』・・・伊藤佐千夫が中心、長塚節、古泉千樫、土屋文明が主要。

1909年(明治42)二十三歳。子規庵の東京根岸短歌会に出て、伊藤佐千夫、古泉千樫、土屋文明などを知る。

明治38年日露戦争後、「自然主義運動」があらゆるジャンルに影響を及ぼし、文学の地殻変動が起きている状態であった。

*子規庵は狭い作りであり、七、八名が入る程度の広さである。

自然主義〉興隆の時代・詩歌文学の世界と現実・生活の世界

 鉄幹 vs 白秋・夕暮・啄木らー明星・すばる

 佐千夫 vs 赤彦・茂吉らーアララギ

*鉄幹の『明星』が下火になっていき、『すばる』(1913年まで)を出版。

1910年(明治43)國學院大學国文科卒業。石川啄木の『一握の砂』刊行、精読。

*関西同人根岸短歌会に出席・・・万葉原理主義で古臭い。

1911年(明治44)十月、府立の中学校の嘱託教員となる。

1912年(明治45/大正1)教え子等を伴い志摩・熊野を船で巡る。『安乗帖』を作る。

1913年(大正2)柳田国男が雑誌『郷土研究』創刊、十二月号に投稿掲載。自筆歌集『ひとりして』を編む。

*『ひとりして』は『安乗帖』が基となっている。

根岸短歌会には、顔を出す程度で、独りで独学により探究していた。

1914年(大正3)辞職。四月に上京。後を追ってきた生徒等と同居。

1915年(大正4)普門院・佐千夫三周忌歌会に出席。島木赤彦、土岐善麿を知る。

1917年(大正6)三十一歳。アララギ主要同人に推挙される。

1921年(大正10)三十五歳。アララギを離れる。

1924年(大正13)「日光」に加わる。

1925年(大正14)三十九歳。『海やまのあひだ』刊行。

1926年(大正15/昭和1)島木赤彦没。

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・明治三十年~正岡子規の写生を重要視する流れが、自然主義文学の前駆であった。

落合直文の弟子は、ロマンティックを詠う与謝野鉄幹と、それに反発し、叙景詩運動をした服部躬治、尾上柴舟がいた。

・釋迢空は、①自然主義石川啄木 に影響を受けている。

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<参考文献>

阿木津英『アララギの釋迢空』(2021) 砂子屋書房

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